局を共闘で弾く
小坂井聖仁 完全帰国記念コンサートでの闘い
出会い
私は小坂井聖仁さんとは2017年10月8日、名古屋・八事のTIMMコンサートで、出会った。私がTIMMの写真を撮るために来て、その前の食事会のおり、彼と名刺交換をしたら、珍しい名刺であったので、何様ですかと聞いたら、ヴァイオリニストです、であった。そのご縁で今回の彼のヴァイオリン・リサイタルに招待された。それならと写真撮影の許可をお願いして、快諾頂いたご縁である。まさに袖すり合うご縁で写真撮影が決まった。魚心あれば、である。私も高校生の時から、一眼レフに200mmの望遠レンズを付けて飛行機の離着陸写真を撮っていた。今思えばなんと贅沢な遊びをさせてもらったことか。今は亡き両親に感謝です。だから私は50年来のカメラマニア・飛行機マニアである。今の主の撮影対象は、馬場恵峰師の書である。音楽家の撮影を始めたのは、グランドピアノを購入して、ピアニスト河村義子先生に就いて習い始めた3年程前からであり、修行として場数を踏みたいという魚心があった。
小坂井聖仁さんは、会場の最後部席の私の席のすぐ横で、TIMMのチェロ演奏に聞き入り、しきりに感心していた。私はチェロには素人で、その良さがまだ分からない。ヴァイオリンとチェロは、共通する事項が多く、弾き方に共感をされたようだ。この時の演奏は、小ホールでアットホーム的であり、至近距離で演奏が聞けたのが良かった。
小坂井聖仁 ヴァイオリン・リサイタル
2017年11月27日、名古屋市民芸術祭一環の「小坂井聖仁 ヴァイオリン・リサイタル ドイツより完全帰国の記念に」の写真撮影のため、14時30分に名古屋・伏見・電気文化会館のザ・コンサートホールに到着した。開演は19時であるが、リハーサル風景の撮影を中心にするため、この時間の到着である。来年1月13日のドレスデンフィルハーモニー弦楽三重奏団ニューイヤーコンサート用に手配したフルサイズの無音シャッタの一眼レフSONYα9と100~400mmズームレンズの入荷(納期2週間)が、この日に間に合った。当日がこのカメラのデビュー戦となった。これもご縁です。
攻めと受けの闘う姿勢
今回、初めてヴァイオリニストとピアノの協奏を撮影して、その演奏時の体の姿勢の変化に驚いた。その動きが音楽なのだ。ピアニストの動きとは、全く違う雰囲気を伝えてくれる。カメラの被写体としては、ピアニストより魅力的である。ピアニストが不動明王様なら、ヴァイオリニストは阿修羅様である。
Page-turnerとの信頼関係
譜面をめくる人(Page-turner)に全面的な信頼を寄せて、優しい眼差しで譜面を見つめて演奏をする田村響さん。それに応えるべく頁をめくるPage-turnerの真剣な眼差しが厳しい。本番と何も変わらない。
音を観る観音菩薩様
リハーサル時の大ホールでの観客は、小坂井聖仁さんの母親と調律師とだけである。その方はプロの音楽家(声楽)で、観客の第三者の立場で佛の啓示のような意見を述べられていた。観客席の真ん中に座って、慈愛に満ちた観音菩薩様のような眼で、リハーサル演奏の音を観ていた。見守ると言うのは、最高の教育の姿である。いつも自分を護る観音様は黙って自分を見守ってくれている。有難いこと。この姿から亡き母を思い出した。合掌。
本番前のひと時
二人での長時間のリハーサルが終わった後、正装に着替えて、田村響さんはピアノの最終練習に取り組んだ。その田村響さんの肩を小坂井聖仁さんがさりげなく優しく揉む。「肩が柔らかいですね」と一言。笑みを浮かべて、練習の場を去る小坂井聖仁さん。今までの厳しい表情が嘘のよう。
後ろ姿が語る
田村響さんの最終練習の終了後、小坂井聖仁さんはヴァイオリンの最終練習に取り組んだ。仕事への取り組み姿勢は後ろ姿に現れる。その長時間のリハーサルが終わり、ホッとした時の後ろ姿。日本での帰国記念デビュー戦としてリサイタルの本番に向けての精神統一中の姿である。背筋がピンと伸びて美しい。
小坂井聖仁さんの精神統一が終わりリハーサルも満足に終わり、思わず笑みが出る瞬間。今から1時間後、開演です。観客席にはに誰もいない。
瞬時の観察眼
本番で田村さんと譜めくりの絶妙の連携を見る小坂井さんの眼差しが鋭い。
演奏とは「音」を狩る闘い
演奏の一瞬を切り取ると、曲を弾くとは「局」をこなす闘いであることが伝わってくる。「弾く」とは弓で「たま」を弾き飛ばすと書く。演奏者の目は、狙った獲物を狙う「音」の狩人の目である。
四位一体ゾーン
下図は、三人の「局(曲)」との闘いの一瞬の姿である。その闘いの相手は己である。どれだけ限界のゾーンに近づけられるか。ヴァイオリニスト、ピアニスト、Page-turnerの精神の高揚が一致した瞬間。三人の心身が完全統合したゾーンの姿である。これは演奏家達の魂が昇華した一番美しい姿である。
小坂井聖仁さんが演奏に熱中して、田村響さんの姿に頻繁に重なってしまうので、カメラマン泣かせであった。私は、この三人の姿が重ならない一瞬を狙うため、全神経を集中させた。私もゾーンに入った。
横山大観画伯は、弟子に「海辺の絵を描いたら、そこから波の音が聞こえなければならない」と指導したと言う。私は撮った写真に、音楽の響く情景が表現されるレベルを目指して取り組んでいる。
後で事情を聞くと、田村響さんの姿が、写真上で小坂井聖仁さんに覆われても、ヴァイオリンの音の響きを優先して、もっとピアノに近寄れと助言をされたという。その道のプロは、音の響きが最優先である。
この日は15時から21時まで連続での撮影となった。カメラ4台を使い分け、同時にビデオ撮影もこなし、老体に鞭打ち約1,000枚の撮影をした。中腰での長時間の撮影はかなり疲れる。リハーサルでの撮影では、大ホールの中を自由に移動して撮影できたので、よき写真が多く撮れた。それでも演奏家達の集中が妨げられないように、細心の注意を払い忍者のように移動をした。
本番での撮影は、観客の迷惑にならないように、親子ルームからのガラス越しの撮影となった。そのため、カメラアングルと撮影位置が制限されて、リハーサルよりは撮影枚数は少なく、魅力的なシーンを撮影するには制限があり、少し残念であった。
タイトルの意味
「局」とは、つとめ、職責、才能、勝負、曲がる、を意味する漢字である。解字では、尺と句(音)からなる。尸(尺)は人体の象形。音符の句は、曲げるの意味。背を曲げるの意味を表す。また區(区)に通じて、区切るの意味を表す。 今回のコンサートで、体全体を使ってヴァイオリンを奏でる小坂井聖仁さんの姿から連想して、表記のタイトルにしました。仕事の一つである演奏も譜めくりも写真撮影も、人生での闘いです。そこから何を創造するかが問われている。
小坂井聖仁の公式サイト www.kozakaikiyohito.com/
2017-12-02
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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