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2017年12月22日 (金)

志天王とは

 「欲」とは、生あるものが「谷」に蹴落とされても「欠」けないものである。最大なる欲が生存欲である。宇宙にも沸様にも欲がある。宇宙にも理にそった順法という欲がある。人間の理念が作り出した佛様にも人を救いたいという欲がある。欲のなくなったとき、それは無機質なものに変わり、死を迎える。

 人として欲がある以上は、できるだけ大きな欲を持ちたいと思う。金儲け、性欲、食欲、権力欲、名誉欲などの小さな欲ではなく、人類に貢献するような大きな欲を持ちたいもの。その大きな欲こそが「志」である。その志が夢を作る。志なき人は、単に生存欲のみの畜生の存在でしかない。

 

欲箭清浄句

「欲箭清浄句」と「般若理趣経」にある。宇宙を生かし、宇宙を生み出してきたほどの大きな欲を持って生きよと説かれる。薄汚れた小さな欲ではなく、世の中を良くしていこう、充実して生きようという大欲を持てという。そうすれば自ずと清浄になっていくはずだと。

 

経済

 「経済」はもともと仏教用語であり、「経」とは全ての人が助かる真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」ことである。つまり「経済」とは世の中の人を救うために沸が行う活動である。経済観念の無き、企業経営は戯れである。理念なき金儲け活動は畜生の餌漁りである。

 

志天王

 志天王とは、人が誰でも持っている沸性である。それの存在に気がつくかどうかだけの問題である。佛はどこにもいない、己の内におわします。誰でも志天王になる素質を持つ。「志を持って世に尽くせ」と佛が背中を押す。右手に「志」を掲げ、左手に「ソロバン」を持ち、背中に「我慢」を背負って歩むのが菩薩行である。

 

図2 馬場恵峰書「般若理趣経」 

師は三歳で死別した母のために、77歳、祥月命日供養として写経をされた。

真言宗のお寺では、理趣経読誦されますが、長文のため写経文として第17節の終わりにある百字の啓のみとすることもある。この恵船を三回繰り返せば、理趣経一巻読誦と同じ功徳があるといわれている。合掌。南無大師遍照金剛。

『報恩道書写行集 三寶齋恵峰』より

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2017-12-22

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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