運慶展でリュックサックに学ぶ
運慶展のような混雑した会場では、リュックサックは禁止すべきと思う。リュックサックを背負っていると、往々にして後ろの人への気遣いが疎かになる。今回もリュックサックを背負った人が、無神経に振り向いて私にリュックサックをぶつけた。その御仁は、それも気づかず向こうに行ってしまった。そんな人は仏を鑑賞する資格がないと思うのだが。
京都国立博物館での国宝展では、館内アナウンスでリュックサックを前で抱えるようにと注意があったが、それを守っている人は少なかった。
友との別れ
5年ほど前に、このリュックサックの件で40年来の友と別れる事件があった。私はリュックサックの意見を友に伝えたのだが、友はリュックサックの利点を持論として滔々と展開した。問題は、その持論が正しいかどうかではなく、相手がどう思うかである。自己の意地ではなく、社会の意思がどうなのかである。その持論の正否は時代、環境、個人の思想で頻繁に変わる。その気配りのない人柄を見せつけられて、嫌気がさして別れる決断をした。今でも正しい決断であったと思う。最近のなんでも反対の野党や不倫政治家は、正論もどきの言い訳を滔々と展開するが、国民がどう思っているかには、考えが及ばない。その結果が先の総選挙の結果だと思う。
己が背負う業
己は永年生きてきて、多くの業を抱え背負っている。前に抱えた業はわかるが、背負った業は自分では見えない。それを教えてくれるのが、師であり友なのだ。その声を真摯に聴かないと人生は開かれない。芥川龍之介作の「蜘蛛の糸」で己の下にぶら下がってきたのは罪人ではなく、己が背負う業なのだ。それを軽くしない限り、天が授ける幸運の糸はすぐ切れてしまう。それを再確認させて頂いた運慶展であった。
2017-11-24
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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