人生経営でご縁に学ぶ(改題)
2017年11月26日、名古屋モーターショーに初めて行ってきた。出かけることで多くのご縁に出会うことを再確認した。犬も歩けば棒に当たる。東京モーターショーには、仕事では何回も行っているが、名古屋で、私用での見学は初めてである。久しぶりのモーターショー見学で少し疲れた。何時のように大変な人出である。運慶展や国宝展とは客層と演出が全く異なり、疲れ方も全く違う。こちらは肉体的疲労が甚だしい。
今回の見学目的は、今度購入したい新車の下見である。車歴17年の車を更新したいが、良い車がなく悩んでいる。私の好みのFRでセダンの良き車がないのだ。いまはFFやワンボックスカーばかりである。走りのこだわると、FFやワンボックスカーでは不満なのだ。ボケ防止には車も良いものだ。
昔の仲間の動向
そこでばったりと昔の仲間に出会って、しばし話しこんでしまった。その私がいた部署で一緒に働いた昔の仕事仲間の動向を聞いて、改めて考えこんでしまった。その仲間の多くが冷遇されていたのだ。中国に二名、タイに二名、チェコに1名(2回)、米国に1名と当時の基幹職全員が、海外のそれも発展途上国に飛ばされていた。その多くは赴任して帰国後、定年か、そのまま子会社に出向である。エゲツナく下品と噂のあった通りの相手先会社の仕打ちである。会社人事では人の能力は関係がない場合が多い。私は、その部署の仕事レベル全体をみて、私の所属した部署の人間の方が優秀と見ていた。それが偏向人事で全員が飛ばされた。
私の前職の会社の合併は、旧T社(私の勤務した会社)と旧K社(合併先会社)と名目は対等合併であったが、3対4の出資比率であったので、人事では吸収合併扱いで、私の前職の会社の人間は冷遇をされた。合併の比率で1%でも多い方が、合併後の人事で主導権を握る。異動で二つの会社に同等の人材がいれば、大比率会社の人間が国内で偉くなり、それに相当した海外部署に小比率会社の人間が出されるという図式である。元部下の一人だけは理事にはなったが、そこで定年になり終わりである。本来役員になっても不思議ではないのだが。他に役員になった人がいるが、当時からなぜあんな人間が役員かと皆が疑問を感じた人間である。どうも上層部が、彼を使って旧T社の人間をまとめるのに重宝したようで、その役員会で上にもいけず、出されるわけでもなく、飼い殺しのように平の役員を勤めている。会社の人事は、人間の仕事能力は二の次で、如何に上層部に気に入られるかである、を再確認した。
悲劇の原因
前職の会社が吸収合併された悲劇の原因は、旧K社の社長、役員の責任である。ぬるま湯的な経営で、学閥内での出世、親会社によりかったぬるま湯的経営で、決めるべきことを決めない経営であった。そのツケがまわって、創業65年で吸収合併をされる身となった。その被害は、社員に及ぶ。会社が無くなったことに責任ある社長、役員達は退職金、顧問手当でぬくぬくとしている。
先の太平洋戦争でも、兵士は優秀であったが、軍部の上層部は愚かで、同じ間違いを何度も繰り返していた。米軍や英軍は同じ過ちを何度もするパタン―ンを見抜き、対策を打って日本軍を玉砕に導いた。その時代から日本経営は少しも進歩をしていないようだ。
私の学び
いつの世も、悲劇を見るのは下々である。役員とはdirectorで、方向を示す人との意味である。その責任ある人が、経営に岐路で正しい決断をしない。決断もせず、間違った方向を示した。そんな人たちが会社を潰した。経営者の仕事は決断である。それが出来なかった。その反面教師として、私は決断が早くなった。周りの人が呆れるほど。前職の会社の消滅は、よき学びであった。
その会社に入社する選択権は我々にはない。私が入社した当時は、不況で会社に入れて頂いた扱いである。そのよき会社の縁を選ぶのは、種々のご縁の錯綜から生まれるようだ。その会社も寿命は30年である。どのように人生を送るか、自分の役割に全力を尽くすしかないと悟ってきた。
勤めた会社のご縁、住む所のご縁
会社の選択は、己の責任であり、理不尽な扱いを受けるのが世の常である。最近も、知人が理不尽な人事でその会社を辞めることになった。世の中は、ブラックや不正業務で捏造がまかり通る社会に落ちぶれてしまった。グローバル経済主義の弊害だと私は思う。そうならない経営をするべきである。
住む場所は往々に両親とか別の縁で決まる場合が多い。しかし選挙権でその義務を果たすことができる。その住む都市の行政の責任は、国の社長は首相であり役員は国会議員である。市の社長は市長であり、その役員は副市長、市議達である。間違った方向に走りがちの行政で、国民・市民が正しく行政をチェックしないと、国や市の行政は迷走する。その被害は、国、市の経済状態と、国民、市民、商店の店主、中小企業経営者の生活に及ぶ。またその子供たちの未来にも影響を及ぼす。国、市の経営者の責任は重い。
市民・国民の義務と反省
国の行政も市の行政の出来不出来は、我々が選んだ議員によって決まる。なんでも反対する党に投票する人がいる。世界の民主主義国家で、共産党が存在するのは日本だけだ。それに投票をする人もいる。日本を共産国家にしたいのだろうか。信じがたい選択である。不倫を働いた元議員に再選のお墨付きを与えた甘い選挙民を騙して、その女性議員はまた不倫を働いて平然としている。これは投票をしたその地区の選挙民が、人を見る眼がなく愚かとしか言いようがない。選んだ議員、市長、議員が適正な行政をしているかは、見守らないと、我々が被害を受ける。言うべきことをきちんと言わないと、行政に殺される。子供たちがかわいそうだ。前のめりで少し勇み足になっても、及び腰で何も言わない市民にはなりたくない。
上図は2017年11月24日、馬場恵峰師宅を写真撮影のため訪問したおり、師に揮毫して頂いた色紙。文面は私の作です。
2017-11-26
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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