佛とは何か マイナスGの世界
佛を数式で定義すると 佛=人間-G で表される。「マイナスG」とは地獄から発生する引力からの解脱である。Gとは業であり、強欲であり、身にまといついた餓鬼である。佛に最も近い存在が純粋無垢な赤子である。その赤子も成長するにつれ、浅知恵を身につけ、小欲が強欲になり、色ものを集め出す。集めても集めても、食べても食べても満ち足りぬ餓鬼の世界に堕ちてゆく。餓鬼道に堕ちた人間も何時かは年老いて、次第に惚けが始まり、赤子のような状態になってあの世に旅立つ。人は裸で生まれて裸で死んでいく。生まれてから身についた重い業(G)を捨てれば、煩悩もなくなり幸せになれるのに、谷に蹴落とされても欠ない欲を持ったまま生きる。持つ欲を少なくすれば、佛の世界に近づけられる。小私少欲の世界に近づけば、心の平和が訪れる。今の欧州の難民問題、世界の貧富の差の拡大は、強欲主義のグローバル経済主義に起因する業なのだ。グローバル経済主義とは、昔の欧米列強による植民地強奪主義の化身なのだ。己ファーストなのだ。
自然の理法
松下幸之助翁は真々庵の庭の一隅に「根源の社」を作り、悩みがあるとその場所に座って何時間も思索をしたという。松下幸之助翁にとって根源様とは、かくのごとくあるべき姿の如来様と同じで、人の根源にあると考えたようだ。その根源である己に何時間も自問自答をして、悩みを解決した。佛とは己の根源である。弘法大師が高野山に建てた塔に、根本大塔の名をつけて、中に立体曼荼羅を創造したのも、同じ由来のようだ。
幸之助翁は、宇宙根源の真理を追究して「宇宙に存在するすべてのものは、常に生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」と結論に達した。
新しい人間観の提唱
宇宙に存在するすべてのものは、常に生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である。
人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間はたえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができる。かかる人間の本性は、自然の理法によって与えられた天性である。
昭和47年5月 松下幸之助著『人間を考える』PHP研究所
無理
私が2012年の松下幸之助経営塾第4期で学んだ重たい言葉が「無理」である。「無理」とは、理に合わないこと。宇宙根源の法則に反すれば、必ず破綻する。「理」とはかくの如くあるべき姿である。それは真理、つまり如来である。
図1 「根源の社」前で、松下幸之助翁の心境を模擬体験する著者
PHP京都本社内にて 2013年5月17日
図2 高野山 根本大塔 2013年3月31日
2017-10-15
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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