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2017年10月20日 (金)

人生は敬縁から始まる、敬遠ではダメ

 野球の試合での敬遠は、勝負からの逃げである。人生球場では、敬縁をしないと人生が回らない。人生経営では、来る「縁」に対して、「敬って」接せしないと、仏様に嫌われる。それは「嫌縁」。人から打たれるのも人生、叩かれるのも人生。人から笑われ、嘲られて、人は強くなる。そんな縁に出会ったことを感謝しよう。来る縁は、全て己の波動が招いたもの。縁起である。

 

病気

 病気に罹ったのではない。病気という縁を頂いたのだ。大病になって手遅れになる前に、仏様が小さな病気という使者を遣わしてくれたのだ。自分の生活を正すきっかけを授けてくれたのだ。その縁を敬わず、無視するから不幸になる。病死をする。病気になり、自分の体を見直し、日本一の医師の門を叩くご縁を頂いた。自分の体を知る機会を得た。素晴らしいご縁からの贈り物である。

 

不運

 不運に落ち込み、人生を悩み、人生の師を探して日本中の師の門を叩いた。その過程で多くの学びがあった。そして良き師に出会って、その後の人生が好転した。素晴らしき不運とのご縁である。不運のご縁を敬って、なおざりにしなかったためである。もう一人の自分を探し求めたからである。

 

事故

 この世で起こることは全て必然である。悪いことに出会ったら、自分の生き方や仕事の仕方を見直せとの神仏からの啓示である。その縁に感謝をして、生き方を変えよ。あなたを訪れる「縁」様は、貴方に変わって欲しい、過ちに気づいて欲しいとやって来る。そのメッセージに気が付かねば、縁様の期待を裏切る「裏切り者」である。どんな事象にも意味がある。その意味を悟るのが智者、賢者である。どんな事象にも表裏がある。表面的な事象ではなく、その裏に潜む神仏の啓示を観よう。

 本稿は20171019日、馬場恵峰師のお話しからヒントを得て作成しました。

図1 恵峰先生書「いずくかより 来たりし去りゆく人の道 縁の恵みは人生の宝なり」

 伊勢神宮遷宮で使用の桧の鉋削り屑で新立広美氏作成 2015年入手

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2017-10-20

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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