人生道を疾走
人生の街道を「自分の体」という乗り物で疾走するには、安全が最優先である。それは自動車の運転で問われる課題と同じである。その中でも、普通の運転者より高い技量が求められる自動車メーカのテストドライバー資格での最優先事項は安全である。試験車運転資格試験で問われるのは、3Sの能力である。3Sとは、安全 (Safety)に、素早く(speedy)、滑らかに(smooth)である。これを言い換えると、次の表現になる。
自分の子供が急病になって、車で病院に連れて行かなければならない。焦って安全運転を怠れば、事故で病院にたどり着けず、子供が死んでしまう。低速で走れば、時間がかかり子供が死んでしまう。スピードを出して乱暴に運転すれば、振動や衝撃で容態が悪化して、子供は死ぬ。安全に、素早く、滑らかに運転して、我が子を病院に送り届ける。これがテストドライバーに求められる能力で、これがないと自動車部品の評価はできない。
仕事のやり方の象徴
これは安全確認の心構え(危機管理)である。これは全ての仕事のやり方を象徴である。子供を仕事の置きなおすと、仕事の心得そのものである。この資格の実技試験で、急ブレーキを踏むと一発で不合格である。なぜなら危険の予想が出来ていないとの判定である。事前に危険を予測できるのに、それを怠った結果が急ブレーキである。安全確認の心構え(危機管理)ができていない。
3秒前に方向指示をしてから車線変更をする。要するに、自分や組織は何処の方向に向うのか、周りにも部下にも、適正な時期に示せ、である。
サイドブレーキを引く時は、カチャカチャという音を立てず、ノブを押しながら引け。車をいたわり優しく操作をせよ、である。仕事や周りへの心配りである。
曲がる時は、右よし左よし後方よし、と呼称する。安全の自己徹底で、仕事でチェックリストを使うのと同じである。今でも私は呼称運転をしている。
私の運転の作法
・曲がらない。ひたすら大通りを走り、裏道は走らない
曲がるからタイヤに余分な摩擦が生じてタイヤが磨耗し、ガソリンを無駄にする。曲がるとは無駄な変化があるから、事故を起こす。近道のため曲がって走っても、到達時間は同じ。裏道は事故が多い。人生道はひたすら真っ直ぐに表街道を走る。
・ブレーキを踏まない
ブレーキを踏むのは予想運転をしていないため。止まるにも、エンジンブレーキをかければ、省エネにもなり、ブレーキパッドも減らない。相手にブレーキを踏ませない。無理な運転をするから、相手がブレーキを踏むという迷惑をかける。人生道は譲り合って、走る。私の車のブレーキパッドとタイヤの寿命は普通の人の2倍です。
・なるべく車を使わない
事故は[事故確率]×[走行距離]の確率で起きる。各要素の数値を減らせば、事故の確率は減る。車とは目的地に行く手段である。走るのを目的にしてはならない。
後日談(2013年)
2013年2月14日、馬場先生宅に知己塾出席のため訪問した。当日、先生の運転で市内へ食事に誘われた。その時の運転が、先生の人格らしからざる水準であった。要するに、仏の馬場恵峰先生がハンドルを握ると人が変わった。車は人を虜にする魔物である。そこに車の素晴らしさと恐ろしさがある。見るに見かねて、後日、運転の改善をお願いする手紙に、自著の運転ノウハウ資料『交通安全の科学』を添付して、おそるおそる差し上げた。なにせ私の師である。事故があれば日本の宝の損失である。諫言を書くのは一大決心であった。
その後、三根子先生から絵葉書の礼状が届き、「心暖まる運転のご忠告ありがたくお受け致します。私も実はハラハラドキドキで乗せていただく時もあり、言うとオコルので、言えません。でも小田先生からお便りをいただき助かりました。心から感謝です」である。馬場先生は神業の筆力を持ってみえるが、やはりシャイな暖かい人間であった。安心した。
その1ヵ月後の3月27日、岐阜駅じゅうろくプラザで先生の講演会があり、「平常心」の掛け軸を書かれた。先生の手にかかると数分間でうん万円の書が完成する。その背景には80年間の修行がある。
翌日、馬場先生は「奥の細道むすびの地記念館」の見学のため大垣を訪問され、私が案内をさせて頂いた。その昼食会場で、前日の「平常心」の掛け軸を贈られた。さすが人生の達人の先生は、お礼の表現もさりげなく、超一流の芸を駆使される。感謝です。
車の運転では平常心が必要である。自分という乗り物で、人生道を平常心で走り、走った跡を「道」にする。平気で死ねる、平気で生きられることが人生修行である。横を走る車と比較し、競争する必要はない。人と比べることは自分を失うこと。
後日談2(2017年9月)
今でも夜遅く先生宅を訪問すると、先生が私をホテルまで送ると言う。91歳の先生に、深夜、車で送らせるのは、弟子として恐縮でもあり、今までは言い訳をしてタクシーを呼んでいたが、考え直して、それが先生の元気の素のようであるから、「運命に身を任せて?」車で送って頂いている。最近は以前に比べれば大分運転がおとなしくなった。やはり言うべきことは、言わないと駄目である。先日、恵峰先生が健康診断で国立病院に行ったら、担当医師から「恵峰先生の頭はまだ20歳代である。どうしたらそうなるのか?」と逆質問されたという。絶句!
2017-09-22
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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