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2017年9月25日 (月)

開眼法要後の粗宴の講話

 開眼法要後の宴席で恵峰先生に法事にまつわる講話をお願いしておいたので、宴席でのお話が知己塾の講話のようになってしまった。想定以上のお話をして頂き感謝です。ためになるお話でお土産話として持って帰っていただいたが、荷物にもならずよき引き出物であった。親戚から、「こんな格調高い法事は初めて」と大変喜ばれた。普通の法事では、大人が酒を飲んでウダを巻く例が多いとか。

 

焼香の作法

 焼香のやり方で正しい方法でする人が極少である。学校でも教えてくれない。ましてや親でさえ知らないのが大半である。焼香を人差し指でつまむ人が多いがとんでもないやり方である。人差し指は、生活の指であり、生きていくためには無くてはならない指である。人を指したりもするし、鼻をほじくったり、指を曲げて稼ぐの泥棒を意味する。親指や小指をまげたのを泥棒とは言わない。悪さをするのは人差し指である。佛様に捧げる香を掴むのにその人差し指を使ってはならない。

 焼香は親指と中指と薬指と小指で香をつまみ、人差し指は添えるだけである。親指はご先祖様、一番長い中指は森羅万象を象徴し、長生きをすべき自分自身を象徴する。薬指は薬と言うように、人生の艱難のときに助けてくれる師を象徴する指である。小指は子孫を象徴する。その4本の指で香をつまみ、生活の指の人差し指をそっと添える。宗派によって焼香の回数は違うが、一回目の香は目の上まで捧げ、ご焼香をする。二度目はそのまま焼香する。

 

自分の人生を表す手

 自分の手は自分の人生を象徴している。ご先祖と、生活手段、指導をしてくれる師、子孫があってこそ人間の人生である。自分とご先祖の業を行うのに、人生の師がそっと後ろで支えてくれている。焼香に己の人生が現れている。どれか一つでも欠けてもよき人生を歩めない。

 

生業に生きる

 正業は生活のお金を稼ぐだけの職業。生業は給与もないし、年金も無い。定年もない。自分の業を生かす生き方をするのが生業である。生きる法を活かす生き方をすればよい。どう生きていくかを、考えながら生きるべきである。死ぬまで現役で生業に生きれば悔いは無い。高速道路の道を走って、走る「法」を知らない人が多い。道路に道路交通法があるように、人生道を走る「法」がある。その法を勉強していないから、人生を誤る人が多い。

 

花と香の意味

 花は邪険の心を清めるために佛前に捧げる。年に一回でよい。お香は貪瞋痴(三毒をいう。貪ること、怒ること、迷い惑って理非のないことの3つの煩悩)を抑えるために焚く。「何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ」(道元)とあるように、冬になっても、貪瞋痴を避ければ、いつか春が来る。「なさざれば受けることなし」と道元禅師の言葉がある。貪瞋痴をするから、その落とし前を払わないといけないのである。過食をしたり、暴利を貪ったり、財産を独り占めするから病気や犯罪や家族争いの禍を受ける。怒るからその咎を受ける。人生道に迷うから劫火を受ける。正しいあるべき道を歩めば、迷わない。

 「迷わず あせらず 胸を張って 心にきざんで」道を歩むべし。

 親が知らないから、子が知らない。だから親が勉強して子供に教えなければならない。親の後姿を見て子供は育つ。

 

図1 馬場恵峰師の講話

図2 書道教室の加藤梅香先生の書

   (毎日文化センター・名古屋  1976年ごろ)

 

2017-09-20

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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