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2017年9月26日 (火)

「桜田門外ノ変」の検証 (27)国友鉄砲

 2003年10月、自動車技術会中部支部報『宙舞』のインタビュー記事のため、長浜城内で鉄砲伝来と国友の鉄砲のお話を市立長浜城歴史博物館の太田浩司氏に伺った。その時に印象に残っている話は、「日本のハイテクの要として国友の鉄砲が長浜で栄えたが、産業としては技術進歩もせず衰退して、江戸末期に外国の技術の前に滅亡する」、であった。そこで氏は、井伊直弼公のリーダーシップについて話が及んでいる。それを太田氏は、下記に述べている。

 

鉄砲の育成

 「国友が生れた時は家康という人がいました。技術者だけでは産業にならないのですね。一貫斎は技術を世に普及させたいという企業的な面も多分にあった人間です。気泡もかなり売り込んでいるし、天体望遠鏡をも70両とか60両で大名に売っています。ただ基本は技術者ですから大々的にはできませんでした。あそこで誰かが、例えば彦根の殿様がバックについて、「俺が資金的なことをやるからお前はどんどん技術開発をやれ」というふうに言っていたら、一貫斎を中心に大きな産業に成長していったかも知れません。井伊直弼がいたら違っていたかもしれませんけど、ちょっと時代が数十年違いました。」

(自動車技術会中部支部報『宙舞』2004年54号 P10)

 

歴史のもし

 武器を生産するとは、その防御方法も開発することになる。旧態以前たる防御で、最新の武器で攻めて来る敵を防ぐには、当方も最新の防御が必要となる。いくら井伊直弼公が北辰流の免許皆伝でも、短筒で籠の中に打ち込まれては、手の出しようがない。もし井伊直弼公が鉄砲の生産に政治力を発揮すればとの、歴史上の「もし」を言いたくはなる。

 

国の外は魑魅魍魎

 徳川家康は、戦乱に明け暮れた時代を終焉させ、平和な世を作るため、幕府の仕組みの変更を禁じて265年の治世を維持した。それは一つの成果ではあった。しかし、どんなものにも生老病死があり、体制の死も起こる。その死への備えがないと危機状態に陥る。江戸末期、鎖国をして国体を守ろうとしても、血に飢えた列強欧米諸国が、平和な日本の扉をこじ開けにきた。その対応で日本古来のよき多くのモノを失った。

 その危機状態は今も変わっていない。攻めてくる役者が変わっただけである。近隣には北朝鮮のようにミサイルをぶっ放す国がある。尖閣列島強奪作戦や領海領空侵犯を繰り返す国が存在する。竹島を不法占拠する国が現在も存在する。サヨクは本件を全く非難しない。平安時代でもシナからの侵略を防ぐ防人として、恋人と別れて九州で国を護ってきた先人がいる。性善説は国内ではよいが、対外的には通用しない。足るを知る、利他を愛する高潔な国民は世界でも稀である。きれいごとでは生きていけない。正しい防衛力を持たないと殺される。その国難の大事なことを無視して、ありもしない問題を新聞第一面に掲げて、国難解散を非難する新聞が存在する。自分の城は自分で守れ。最大の敵は、自身の怠慢、身内のサヨクの獅子。何が正しいか、自分の頭で考えたい。魑魅魍魎の跋扈する世界とわたりあうには、自分の価値観をしっかりもつことだ。世には金に飢えたグローバル経済主義者が跋扈している。それを鏡として、日本の役割を考えたい。

 

図1 国友鉄砲の里資料館の掲示板

図2 国友の鉄砲 (国友鉄砲の里資料館)

 

2017-09-26

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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