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2017年8月29日 (火)

命の確認

 自分の命を一番身近で確認できるのは、自分の目である。目の老化を認識すると、また目の病気をすると、つくづくと命の限度を認識させられる。動物では、目が見えなくなったら、餌を捕れなくなるため、それは即、死を意味する。私のエサは本やPCからの情報である。目からそのエサが得られないことは、私にとって死を意味する。幸いなことに、人間はまだ助かる機会が与えられている。現代は医学が進歩してそれを支援してくれる。本来それに感謝をすべきだが、そうでない人は、人としての驕りがある。

 

我々の役目

 芸術家としての人間が、自分の命の限界を感じるとき、そこに表す作品は極めて精神的なものとなる。人の寿命はせいぜい百年だが、仏像や大理石の像の寿命は千年、二千年にも及ぶ。己の作品を千年、二千年後まで残そうと芸術家のDNAが、永遠に続く作品(子)として残そうと意識するのはごく自然である。我々の役目は「生き続けること」ではない。「自分のDNAを残す」、「後進を育てる」、「後生を育てるための作品を残す」ことである。生物の生きる目的が、「生き続けること」ではないのは、地上に出てから7日間しか生きられないセミの姿を見ると良く分かる。

  91歳の馬場恵峰師が、今だ現役で、毎日、深夜まで作品を書き続けているのも、後生を育てるためのお手本の作品を残すためであるという。師を見ていると「どげんして、そげん元気かばってん?」と思うが、その気力が師を長生きさせているようだ。

 

ロンダニーニのピエタ

 人が自分の寿命を意識するのは、人生も後半になり体のあちこちに支障が出てきて、目も見えにくくなってからである。今まで意識が薄かった死が現実に見えるときである。ミケランジェロも死の6日前まで、目がほとんど見えなくなった状態でも手探りで「ロンダニーニのピエタ」を彫り進めた。ミケランジェロは1554年2月18日永眠、89歳。生涯、ピエタを彫り続けた一生であった。このピエタの仕上がりの姿から彼の精神的な高揚の鬼気迫る姿が伝わってくる。天性の能力が全開した時(34歳)に彫ったピエタ(サン・ピエトロ大聖堂に展示・1499年製作)と、「ロンダニーニのピエタ」(1554年)の姿を比べると、あまりの差に驚ろかさせられる。

 ミケランジェロは老人性白内障に罹患して目が見えなくなっていたと推定される。それでも89歳まで現役で彫り続けたのは、当時の平均寿命から見て驚異である。神が与えた長寿と言う才能である。現代は白内障手術で人工の水晶体を入れることで、元の視力を回復することができる。医学の進歩の恩恵を私も頂き、感謝している。

 

人の使命

 認知症になれば、自分の目の衰えも認識できない。命に相当する「見えること」が分からなくなるとは、その症状が脳死である。頂いた命を、後世に何を残すかが問われている。どんな人には老いは迫りくる。生き永らえているだけの状態になるまでに、やらねばならぬことをやろう。それが、動物ではなく、人として生まれたものの「命の使い方」である。

 

 以上は、NHKBSプレミアム「旅のチカラ ミケランジェロの街で仏を刻む~松本明慶・イタリア~」を見ての感想です。著作権の関係で、画像の掲載が不可なので、オンデマンドでご覧になるか、「ロンダニーニのピエタ」でネット検索をしてください。

 

2017-08-29

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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