地蔵菩薩尊に込められた願い
室村町四丁目地蔵菩薩像の移動後、石屋の石寅さんが、台上の撤去作業に取りかかった。床のコンクリートの除去までに丸1日を要して、夕方に撤去工事が完了した。撤去作業をすると、今まで地蔵尊像の水台と蝋燭台とに隠れていて、見えなかった土台前面に彫られた文字が出てきた。そこに寄進者の名や願文の文字が現れた。その文字が万葉仮名で読めそうで読めないので、2016年4月11日、元大垣市史編纂室室長の清水進先生に解読をお願いしたら、下記のように解読された。お地蔵さん建立当時の暗い社会情勢から、建立した人達の願いが推察できる。
日ハく連天 日は暮れて
月いてぬやミちを者 月出でぬ闇路をは
てらしたまへ流 照らしたまえる
御佛□那 御佛かな
遊行 遊行
この和歌を詠った遊行(ゆぎょう)とは、布教や修行のために各地を巡り歩いた仏教の僧侶を意味する。空海、行基、空也、一遍などの僧がその典型的な例である。遊行は「少欲知足」を主旨とし「解脱」を求めた。過去の有名な僧侶の遊行先には数多くの伝説などが存在する。また当時の僧侶自身が知識人としての位置付けであるため、寺の建立、食文化の普及、農作物の普及、仏教の伝教など地域文化に数多くの影響を与えた。
和歌に込められた祈り
日光菩薩は、仏教における薬師如来の脇侍としての一尊であり、月光菩薩と共に薬師三尊を構成している菩薩である。日光遍照菩薩あるいは日光普照菩薩とも呼ばれ、薬師仏の左脇に侍する。『薬師経』に依れば、日光菩薩は、一千もの光明を発することによって広く天下を照らし、そのことで諸苦の根源たる無明の闇を滅尽するとされる。
月光菩薩は、仏教における菩薩の一尊。日光菩薩と共に薬師如来の脇侍を務める。月光菩薩は、月の光を象徴する菩薩であり、日光菩薩と一緒に、薬師如来の教説を守る役割を果たしているとされる。
地蔵菩薩は、その一千もの光明も月の光も照らさない無明の闇路(夜道とかけている)を照らしてくださるという信仰があった。この和歌は当時の暗い社会情勢を詠んで、お地蔵様に希望と祈りを託した和歌である。地蔵菩薩は観音菩薩が33の姿に変身する一つの姿でもある。その内容をこの和歌に読み込んでおり意味深い和歌である。室村町四丁目地蔵菩薩尊は、105年間も祈りを託されてこの地域を見守っていた。105年前の和歌であるが、誰しも経験する人生の闇地を象徴している。希望と祈りを授けてくれる象徴としての御仏の姿は、今でも通用する。人は絶望の中でも、信ずるものがあれば生きていける。
寄進者の意向を配慮
花代を取り除くと、花台に隠れていた水台の寄進者の名前「伊東ひさ子」が現れた。この105年間、ずっと名を隠していた奇徳なお方である。本体の建立が明治43年8月で、水台の寄進が明治43年9月である。現在の室村町の住人で遺族を探したが、見当たらない。
当初、この和歌を新地蔵菩薩像の台にも彫ることを計画した。しかし故意に蝋燭台で隠すように彫ってあるとしか思えないので、何かワケありであると考えた。このため知人の仏門関係者にも意見を聞いて、当面、和歌を彫る計画は中断した。
図1 土台に彫られた和歌
図2 土台の撤去作業を開始
図3 土台を見つめる石寅の藤井重雄社長
図4 撤去作業
図5 撤去作業
図6 土台を削岩機で取り外し
図7 2016年4月5日16:00 工事完了
2017-08-12
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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