磨墨智 503.定年まで大過なく過ごさない(改定)
定年の挨拶文の決まり文句「大過なく過ごす」とは、「作業」をして「仕事」をしてこなかったこと。作業とは、決まったことを、決まった通りにロボットのごとくに、業務をこなすこと。今、貴方が辞めて、会社が困りますか? 貴方がいなくては困るという存在ですか?
忍耐とは
仕事とは、付加価値を創造すること。「仕事」をすれば波風が立つのです。仕事とは、課題を乗り越えて、問題を解決すること。仕事をするとは、対象を殺すこと。その無駄を殺せ。会社に殺されると「波風立てずに大過なく過ごせる」。「仕事」とは「作業」の効率化をすること。波風も立てず、上役にヒラメの如く媚びを乞い、息も殺してサラリーマン生活を送ってどうするの? それでは人生で価値ある時間は創れない。
時間とは命の刻み。その命を何に使うか(使命)が、己の心に向けられた刃である。それに向かって血まみれになって働くのが「忍耐」である。首に縄を付けられて、羊の如く定年まで過ごすまい。命をかけて狼の仕事をしたい。殺されても、新しい新天地で生き返ればよい。仏さまが骨を拾ってくれる。その血まみれの経験という財産は、だれも盗めない。己が血まみれの仕事レベルまでには、到達できなかったのが悔やまれる。自己採点で60点である。
組織の定年
どんな組織の長にも暗黙の定年がある。普通の組織の長の任期は3年である。就任1年目は、その組織の現状把握と改善点の開発である。2年目は、改善案の実行である。3年目はその成果の確認と後進の育成である。長はその期間の間に、「仕事」を行う。長が「作業」をして時間を過ごすのでは、その組織の長の地位に就く価値がない。その組織の長の定年まで、大過なく過ごしてはなるまい。上司は、貴方にどんな期待をして長として選んだのか。己は組織の長として、どんな付加価値を生むのか。それを自問したいもの。その長に出世するために、上役にゴマすりをするのでは、人生の目的が本末転倒である。人生の定年を迎える前に、佛は己に何を期待しているのか、何のために生まれたのかを考えたい。
第一の人生の反省
私の定年の挨拶状に、ついこの項を忘れて、「大過なく」の文言を入れてしまったのを、今になって反省している。会社の定年が過ぎても、第二の人生の定年、第三の人生の定年が待ち受ける。今度こそ、前の失敗をしないようにしたい。若い人には、この意識を持って仕事をして欲しいと願っている。
あるOBの銀行マンは、支店長時代に上司から「お前の代わりはいくらでもいる。預金目標額を達成するまで、死ぬまで働け!」と罵声を浴びせられたと言う。今にして、私は幸せな職場で働けたと思う。仕事はお金のためではない。私の経験した職場は付加価値を生める仕事があった。
『時間創出1001の磨墨智』より
2017-08-10
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。
コメント