410a. 時間を観る目を養え
時間は観ることができる。時間とは命である。命を持った人間の行動を観察すれば、時間の使い方の真贋が分かる。時間の使い方の真贋を見極めるよき目を持っていても、自分の行動がそのようにできるかどうかは別である。しかし、意識して真贋を見る訓練をしていれば、人様よりも、良き時間の使い方はできるはずだ。骨董屋の小僧は、ご主人から常に本物の骨董品だけを見せられて、真贋の見分けの修行をするという。時間の使い方の本物を探して修行をしよう。いつかは時間の使い方の名人になれるはず。そのサンプルは人の顔である。
作品に出る時間の顔
松本明慶大仏師は、師である野崎宗慶老師から「作品を観る目を養え」と教えられたという。自分の技術よりもほんの少し観る目を進めること、目が少し腕より良いくらいが丁度よいということである。
自分達は、自分の人生という命(作品)を彫っている仏師である。素材から多くの部分を削り取らないと、作品が仕上らない。削り取る過程で痛みも歓びもあり、人生の創作の苦労を体験する。削り残しが多い人生とは、未完の人生である。自分の人生レベルより少し進んだ目で、自他を観察して、よりよき時間を駆使して人生を完成させるのが、人間に生まれた責務である。自分の後ろにはご先祖様の期待がある。
作品としての顔相
同じ50年を生きて、苦労の有無が顔に出る。苦労をした人の顔が、そうでない人と同じ顔であるはずがない。男の顔は履歴書である。今、ネット上や雑誌、新聞、事業報告書、広告等から、成功者、経営者、政治家、犯罪者の顔写真を収集して顔相の研究をしている。その顔を見比べると、その顔にその人が、その仕事に費やした時間が見える。その経営者も、小さな会社、大きな会社にはそれ相応の顔があり、金融業や電力、ベンチチャー企業、製造業毎に、その仕事が匂う顔がある。そこに人生の時間を感じる。本物の経営をしてきたか、そうでないかは顔が伝えている。詐欺まがいの計画倒産をした経営者には、相応の顔が事業報告書の掲載されていることを発見した。
2017-08-08
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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