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2017年7月 1日 (土)

人生のキャンパスを彩る絵具と照らす灯台

 人生は絵に例えられる。白いキャンパスに、どんな絵を描いても自由である。書かなくても自由である。どんなサイズのキャンパス(人生の舞台)に、どんな絵の具(才能)を使い、どんな色調(志)で、どんな技(技量)を使い、どんな筆で、どういう画風で描くのか、それが人生で問われる。持てる絵の具のキャップも開けずして、人生を去りたくはない。絵具は使わずに置いておくと、乾燥して使えなくなってしまう。持てる才能にも旬がある。一番効率的に使える輝いている時に、一番良い絵の具を使って人生キャンパスに鮮やかな作品を描きたい。そのキャンパスに書いた絵は、世にどんな意味を問うのか自問しよう。 

 同じ風景を見て、同時に描いても、百人百色の人生が描かれる。それが己の履歴書として残る。そのキャンパスに、その人の人生観が現れる。その人生観を育てたのは親であるが、その人生を正しく導くのが師(灯台)である。師は人とは限らない。2000年前の書や経典や時には自然が師となるときもある。自然はいつも声なき経を唱えている。

 下図は、2011年11月、(株)トラベルプラン主催のシシリア島のスケッチ旅行に参加したときのスケッチ風景である。当日の夜、宿泊ホテルで各人が描いた絵の講評会を開いた。メンバーはスケッチツアー仲間で、約半数が還暦前後の女性達である。日本女性の元気さに感嘆した。

 (株)トラベルプランHP: http://www.travelplan.co.jp/

 

 人生を白いキャンパスに描く行為は、芸術と同じである。奥村画伯は100歳を超える長寿で、生涯現役で富士山を描き続けた。100歳のときの「100歳の富士」は有名である。

「芸術に完成はあり得ない。要は、どこまで大きく、未完成で終わるかである。

1日を大切に精進したい。」(奥村土牛画伯)

 

エピソード

 図3の部屋の写真で、壁に掛けてある絵、写真全てにマスクをかけました。見苦しくて恐縮ですが、それには訳があります。シシリア島スケッチ旅行で宿泊したホテルは全て五つ星のホテルで、中にはモハメッド・アリが泊まったホテルも含まれている。そんなレベルのホテルの部屋に掛けてある絵は要注意である。

 日本の某テーマパーク会社の渉外担当の課長さんから聞いた話です。その会社が東京で海外から絵を借りて展示会を開催して、そのパンフレットを作ったところ、そのパンフレットに会場風景を掲載したが、そこに借りた絵が小さく写り込んでいたという。それをその筋の告げ口専門家が、その絵の海外の著作権所有者に連絡して、海外から損害賠償金を請求されたという。なんとか和解ですませたが、それでも数十万円を支払う羽目になったという。海外のその筋の所有者は、それで飯を食っているという。

 新しいことを始めると、必ず躓き、そこから新しい知恵を得る。何もやらなければ、躓かないが、知恵も付かない。どちらの道を選ぶかが人生で問われる。新しい道を選ぶとは、新しい絵の具を使うこと。どうしても少しの無駄がでる。それで知恵を得る。

 

 

図1、2 SICILIA島 PIAZZA ARMERINA  2011年11月11日

 お勧めのスケッチポイントでイタリア中世の都市を写生

図3 当日の夜、宿泊ホテルで各人が描いた絵の講評会を開いた。

 メンバーはスケッチツアー仲間。約半数が女性で、日本女性の元気さに感嘆。シシリア島  2011年11月11日

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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