一本道を歩く
人生とは、バイキング料理店と同じ形式である。多くの料理の皿を目の前にして、何を食べようが食べまいが、どれだけ取ろうが自分の自由である。その代金は、自分の「果断から始める行動」という対価で支払えばよい。人生とは、ごまんとある人生道(仕事、諸芸、宗教等)の中から一つの道だけを選んで歩むこと。どれだけ道が沢山あっても、選べるのはせいぜい2つである。その一つを選んで歩み始めても、横道に美味しそうな道が誘惑するが如くに現れては消えていく。それに足を踏み出しそうになるのを我慢して、脇目も振らず歩むのが正しい人生である。その誘惑に負けると、人生をさ迷う徘徊者に落ちぶれてしまう。隣の芝生が青く見えてしまうのは、自分の目が欲目症候群に罹っているからだ。
ただひたすら一本道
この道より外に我を生かす道なし。この道を歩く。私は、ただひたすら一本道を心に刻んで、心眼をもって行く末を見つめ歩みたい。道を選ぶ前の前提として、バイキング料理店に入るなら、せめて上流のお店に入れるように精進をしたいもの。下流バイキング料理店では、人生の腹下しを起こす。少にして学び、良い学校に入ることは、人生成功の保証にはならないが、壮での活躍の場に恵まれるご縁がある。壮にして学べば、老いて衰えず。下流の徘徊老人に落ちぶれることもない。老いて学べば、死して朽ちず。そうすれば後進を導く学びの舗装道路を建設できる。
東山魁夷画伯の選択
人生では、時を選び、場所を選び、何を捨てるか、何を残すかが問われる。何を取り込むかではない。人生では多くのものを捨てなければ、取り込んだもの重みと雑多さで迷いの世界に没入してしまう。捨てるにはかなりの痛みを伴う。捨てる決断、それが人生経営だ。自分人生の経営者は決断が仕事である。
2016年5月15日16:00、新戸部八州男社長の案内で、東山魁夷画伯が「道」をスケッチした現地の八戸市種差海岸に辿り着いた。海岸沿い道路の横に広がる風光明媚な風景に感動した。太平洋の荒波が打ち寄せる海岸は絶景である。東山魁夷画伯は、その絶景の風景の中から右手に見える海岸風景を削除した。灯台を消し去り、道の周りの柵や樹木を消し、情景を単純化した。時を選び、朝もやに包まれた道だけを幻想的に浮かび上がらせた。下町の銭湯に描かれるような壁絵まがいのモチーフを、東山魁夷画伯は精神的な絵として昇華させ、魂の絵に創り上げた。まるで誰もいないフルオーケストラ用の大ホールで、柔らかな薄明りの照明下、静かなソロピアノの曲を弾くがごとくの演出である。東山魁夷画伯は風景を見ず、求道者として風景の中に己の魂を観つめる。東山魁夷画伯は近くの牧場に泊めてもらい、日の出前の朝もやの煙る時刻(朝4時前?)にこの構図をスケッチした。この土地は本土で最東端に位置するので日の出時刻が本土では一番早い。昭和24年(1949年)ごろの終戦直後でモノも食料も交通機関も貧困であった当時に、この東京から遠いこの場所に4度目にこの地を訪れて、この絵を描いた。画伯が1941年にこの地を最初に訪れたとき、頭の隅にこの構想が生まれていたようだ。10年の歳月の間、その温めた構想を具現化した。その間に徴兵があり、両親の死があり、敗戦があった。その背景でこの絵は生まれた。画伯の魂の遍歴が透けて見える。来てよかったと感動した。次回は、東山魁夷画伯が描いた朝4時前に、この地に立ちたいと思った。
図1 八戸市種差海岸沿いの道路 2016年5月14日撮影
東山魁夷画伯は赤枠部を切り取り下図の「道」を描いた。
図2 東山魁夷画伯作「道」 ed:587/1000
2017-07-15
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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