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2017年7月21日 (金)

「自分史」で老計・死計を視える化

 図1は還暦の時にまとめた「自分史」である。「自分史」の中で、60歳から95歳までの計画表は「老計・死計の設計図」である。この表を仏壇のある座敷に掲示して、この5年ほど、毎日眺めていた。今は別の部屋(増築した書庫)に移して、毎日眺めている。眺めるほどに、人生を考えさせられる。

「自分史」の内容

 「自分史」では、高校卒業から還暦までの実績を、そして95歳までの計画をA1サイズにまとめた。横の目盛りに年号、年齢をとり、縦の項目に社会の事件、会社での部署歴、職位歴、取得資格歴、業務内容、著作、師との出会い、IT機器歴、受けた研修歴、旅行歴、体調状況、車歴、住まい歴を並べた。入手した美術品や思い出の写真を貼り付けて表現した。人生を1枚の表にすると、自分の足跡が「視える化」され、今後の自分のやるべきことが見えてくる。私の昔の部下や友人にも本図を見せて、自分の将来のために、今からこのような図表を作成することを勧めている。

人生を俯瞰

 人生95年を1日24時間に換算して人生を俯瞰すると、

60歳はまだ15時で、終業時刻の17時までまだ時間がある。

65歳は、これから残業時間で、まだ一仕事ができる時間である。

75歳は、19時でこれから自分だけの時間が持てる黄金の時間である。

85歳で深夜に近く、仕事をしながら就寝の準備をする時間である。

人生を95年で計算すると、やれること多々あり目移りするほどである。

人生の視える化

 現在、国家試験に挑戦中で、その受験勉強の方法として過去問を何度も解いている。その対策として、覚えるべき項目をマトリックスにして「視える化」をして、その記憶の穴埋め作業をしている。同じ問題を何度も間違えては悔しい思いをして、記憶の再確認をすることで課題を覚えている。そのマトリックスと自分史の表が重なり合う。人生でも同じような間違いを何度も繰り返し、痛い目を遭いながら少しずつ人間としての成長をしてきたことが自分史に刻まれている。人生とは、佛様からの合格通知をもらうための受験戦争なのだ。その結果を、自分で自分史に書き込んでいる。足跡を「視える化」することは、人生の反省となり、次の人生の一歩を踏み出すための学びとなる。自分の成長が完成したら、それで人生が終わりである。それでは面白くない。未完成で終わることを前提に、少しでも成長をして、その継続中で倒れたい。

 受験科目の項目別過去問の取り組み履歴を自分史と重ねると、自分が間違った過去の足跡が、自分の成長の過程として見えてくる。人は間違わなければ成長しない。自転車の習得でも、できるだけ軽微な転び方を多くして、自転車に乗れるようになる。痛い目に遭ってどれだけ学べるかが、人生である。

人格のレベル

 人生で人間として習得すべき項目をマトリックスにしたとき、どれだけの穴を埋めることができるか、それが人格のレベルである。フランクリンは13項目の守るべき徳目を毎日1項目ずつチェックして、それを守るように繰り返し反省・自律していたという。受験勉強でも、自分の穴の開いた記憶箇所を一つ一つ根気よく埋めていく、しばらく経つと前に埋めたはずの場所に穴が開いていることに気が付き、慌ててその穴を再度埋めていく。その繰り返しが受験勉強であり、自分の持つ器の穴を辛抱強く埋めていく作業が人生修行である。自分はその穴の開いた人生の器で、巡り合ったご縁をすくうのが、人生の旅である。いくら良きご縁があっても穴が開いていればこぼれてしまう。できるだけ穴の少ないのが理想ではあるが、到底かなわない夢ではある。その穴の開いた器でどれだけすくえるかが、問われる

自分の老いの発見

 この還暦後の受験勉強で得た最大の学びは、自分の老いの発見である。昔はすぐに覚えられたことがなかなか覚えられない。脳の劣化、目の劣化、連続で長時間机に向かう体力が喪失しているという冷酷な現実である。いつまでも若い時のようには行かないことを痛感させられた佛様からの通告でもあった。

師の遍歴

 自分史を振り返ると、師と仰いだ先生方の履歴が一目瞭然である。誰を師として目指したかを振り返ると、自分の成長が分かる。自分の成長は、師の後ろ姿を追っての人生である。人生は師を探す旅の歩みと言える。当初、師と信じていた人が、単なる水先案内人であったこともある。人生の悩み事で相談に行っても、「今忙しい」とかで逃げられると、その師としての信頼が一挙に消失する。戦争のとき助けてくれない国が味方ではないように、自分の人生の修羅場の時、相談に乗ってくれない人は、師ではない。師とは、月も照らさぬ夜道で、行先を照らしてくれる灯台のような存在である。その灯台が、近寄ってみたらカゲロウであったときの怒りは大きい。そんな痛い学びもした60年の歩みが「自分史」に刻まれている。人生は師を求めての旅である。本物の師は3年をかけてでも探すべきだ。求めない人に、師との巡り会いはない。

 

図1 自分史

 

2017-07-21

久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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