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2017年7月12日 (水)

「桜田門外ノ変」の時代背景と世界情勢

江戸末期、昭和初期、何を恐れてご先祖は戦ったのか?

 狩猟民族のDNAは動物的である。狩猟民族と言われる欧米民族と農耕民族と言われる日本民族とはもつDNAが違う。狩猟民族は盗るのが当たり前で、盗られるのが愚鈍であるとの説である。キリスト教徒でないものは、人間ではないので殺してもよいという思想である。盗れるものは全て奪う、彼らにとって仏教の利他少欲は戯言である。欧米人は、戦争になって勝てば、相手を皆殺しにするか、奴隷にするか、植民地にして生産物の全てを奪うのが正しいやり方である。さすがに戦後は世界の目が厳しいので、自制はすぐが、狩猟民族の本質は変わらない。現代は欧米と同質のチャイナが領土強奪・民族虐殺や海外旅行での蛮行でその本領を発揮している。

日本の外の世界は、価値観が違うことを認識して行動しないと国が亡ぶ。今までは、自然の国境の海があったから防げたが、科学技術の進歩がその国境をなくしつつある。危機感をもって各人の意識を高めるしかない。

アメリカ合衆国の虐殺の歴史

 米国は独立戦争直後から、戦争や武力外交交渉によって領土を自己増殖的に拡大していった。もともと先住民のインディアンが1,000万人住んでいたアメリカ大陸であるが、白人がインディアンを950万人も虐殺して土地を強奪した。現在、インディアンは50万人しか生存せず、米国史からも抹殺されている。入植当時の白人は、インディアンからトウモロコシやジャガイモの栽培方法を教えてもらい、飢えをしのぎ開拓時代を生き延びた。当時のアメリカ入植者は、豊かな英仏等から逃げてきた落ちこぼれ達や犯罪者達である。彼らは恩を仇でインディアンに返した。

 1783年、アメリカ合衆国は、北大陸北米に一角に、大英帝国が創設した13州の植民地として誕生した。

 1803年、独立後間もないアメリカは、フランス革命直後で金のなかったフランスからフランス領北アメリカの大部分を安く買い叩いて手に入れた。

1821年、スペインのナポレオン王家から旧王家への体制転換のどさくさに乗じて、現フロリダ州も買い取った。

1845年、メキシコ領テキサスの独立運動を支援すると称して、事実上テキサスを乗っ取った。

1848年、これに怒ったメキシコと戦争が起こり、それに勝って現カリフォルニア州、ユタ、ネバタ、コロランド、ニューメキシコの南西山岳部4州を強奪

1846年、オレゴン州に対するイギリスの領有権を否認して領土として強奪

1853年、ニューメキシコの南部をメキシコから購入した。

 1867年、クリミア戦争後の財政難で困窮していたロシアの足元見て、アラスカを格安(720万ドル(1km²あたり5$))に購入した。

1887年、アメリカ大陸の西海岸に達したアメリカは、太平洋を西に進み、ハワイに入植者を投入し続け、裏で糸を引いてハワイ王国でクーデターを起こした。ハワイの国王を殺して、結果として1898年、米国に併合した。

1898年、米国はフィリピンに達して、フィリピンを植民地(1898年-1946年)とした。植民地としてフィリピン語を禁じ、英語を強要し、自立する術をなくして文盲の植民地住民にした。そのため現在も英語が公用語に入っている。

 植民地強奪戦略で米国の進出が太平洋の西端に達して、それを遮る目障りな障害が日本列島であった。日本の存在自体が日米戦争の導火線であった。西に向かって侵略戦争を進めた米国は、中国にも植民地を求めた。そこは英仏蘭独の先発の侵略軍がいた。そこに割り込もうと日本との軋轢が生じた。

1941年、中国で植民地強奪競争に後れを取った米国は、日本には受け入れ不能のハルノートを突き付けた。それを拒否するとエネルギーの自給ができない日本に対して、米国は経済封鎖をする挙にでた。ことは実質的に戦争の宣戦布告である。そのまま座していれば、日本中の会社が倒産して、失業者が社会に溢れる。日本は数か月で干上がる。自衛のために立ち上がったのが日米太平洋戦争である。米国は、日本が先に手を出さざるを得ないような狡猾な罠を仕掛けた。「日米戦争は日本の自衛戦争であった」とマッカーサーが戦後議会で証言している。そのことは日本のマスコミは黙殺して、真実を報道しない。そして紙上で日本自虐論が花盛りとなった。何が真実なのか、自分の頭で考えるべきだ。日米太平洋戦争があって、アジアの多くの国が欧米の植民地政策の毒牙から逃れられて独立できた。その事実を見逃しては、米国の洗脳教育から脱却できない。勝者の歴史は偏った偽りの歴史である。

日米太平洋戦争

 太平洋戦争での激闘で、日本の高性能な戦闘機、戦艦、航空母艦での戦い、玉砕、特攻等で、死に物狂いになった時の日本の恐ろしさに震え上がった米国は、戦後は日本を骨抜きにする策に熱中した。その成果が70年後の今、「毒花が咲いた」としか言いようがない情けない日本が今ある。自衛戦争もできない憲法、粗製作りで拙い日本語の憲法、家制度をなくし先祖を敬わない教育体制、日本を愛さない日本人の増加、日本の産業が二度と立ち上がらないような経済政策で、初の日の丸ジェット旅客機MRJも初飛行に戦後70年間を要した。

 唯一の救いは、ご先祖が命を懸けて死闘(玉砕、特攻)をしていただいたおかげで、米国もあまり過激には占領政策を進められなかった。そうでないと日本を米国の植民地にして、日本語禁止や日本の米国編入があったかもしれない。先例でフィリピンは植民地にされハワイでは王様が殺され、国が滅んで米国に吸収された。先住民のインディアンが弱かったのではない。国を守るという体制がなかったためだ。チベットに平和憲法がなかったから、人口の20%もチャイナに虐殺されたのではない。チャイナの侵略を防ぐ軍隊が無く戦えなかったためである。

我が家の戦い

 ご先祖は、父の弟の四男がシベリア、五男がビルマで戦死である。父はなんとかシベリア抑留から生還できた。ご先祖の日本のために命を懸けた戦いがあるから、今の日本がある。無抵抗であれば、日本はフィリピンのように植民地にされたはず。ご先祖の死闘に感謝しなくてはならない。歴史を振り返ると、戦争当時、日本政府は戦争相手を鬼畜米英と言っていたが、米国や英国の血に染まった建国歴史から見ると意外と巧い表現だと思う。

 明治維新も桜田門外の変も、アヘン戦争で英国が香港を割譲したニュースを日本の知識層が知って、危機感から起こった政変である。日本民族のDNAには、民族皆殺し、略奪やり放題という汚れた血は流れていない。聖徳太子の「17条の憲法」にある和を尊ぶ精神が1300年間も続く。しかし海外の民族はそうではない現実を肝に銘じたい。

 

図1 価値観の比較

 

2017-07-12

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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