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2017年7月18日 (火)

ジャズ喫茶からヤマハジャズクラブへ 3/3

演奏会の収支

 ヤマハジャズクラブ演奏会のチケット代は3,000円、入場者は多くて100~150名で全収入は30~45万円である。そこから5人のジャズメンに出演料、交通費、宿泊費、食事代等を払うので、各ジャズメンにはそんなに多くのお金は渡らない。東京のジャズメンだと、2日間を拘束される。それで一人10万円以下の収入である。たまたまヤマハさんのご支援があり、ヤマハホールの利用料が無料であるのが救いであった。そのコンサートも毎日あるわけではない。遠方だと、内田先生が岡崎の病院に泊めて宿泊費を負担されていた。内田先生の全面的支援なくしてヤマハジャズクラブの活動はありえないのが実情であった。

人生舞台の収支

 ライブハウス・ラブリーでの打上会時、隣に座ったジャズメンが私に「今の仕事が充実していますか?」と聞いたので胸を張って「yes」と言えたのが、今では懐かしい。彼がそんな質問をすること事態、ジャズメンの生活が厳しく、将来に希望が見出せない生活をしていたのかもしれない。超一流以外の音楽家では、生活を立てるのはかなり難しい。特にジャズは儲からない。クラッシック音楽家でさえ儲からない。その道で生計を立てるのは大変である。音楽の練習にかける時間と情熱を、他のビジネスに向ければ大成功間違いなしなのだが、音楽の世界ではままならぬ。それでも人生好事魔多しで、音楽を目指す人は減らない。それだけ音楽に魅力があり、日本の文化が熟成してきた証であろう。音楽は好きでないとやれない職業である。ヤマハジャズクラブで活動して、ジャズメンの生活を垣間見ることで、自分の恵まれた仕事環境を確認できた場でもあった。

「今の仕事が充実していますか?」

 当時は胸を張って「yes」と答えたが、その後の会社人生で、いつもyesと答えらえられない自分がいたのは冷酷な現実である。会社人生は山あり谷ありである。今振り返ってみて、仕事そのものに没頭できている時ほど幸せな時期はない。それが仕事そのもの(私の場合は製品開発)に没頭できればまだしも、職位が上がって管理職としての仕事が入ってくると、そうもいかない。係長ならまだしも、課長や室長の中間管理職になると、上下の圧力で押しつぶされそうになったことが、何度もあった。「yes」とは言えない時期の方が多い。しかしそれがあったからこそ、今の自分がある。人生舞台で多くの経験と試練を受けたことに感謝です。

 好きな技術の世界ではなく、給与の高さに目がくらみ金融業で働くのが幸せとは限らない。銀行等で成績を出すため必死に働かされ、50歳前に支店長になれなければ、銀行から出されてしまう。その出向先で、その会社の社長に気に入られなければ最悪である。その時、己に何の腕・技術があるかが問われる。なければ路頭に迷う。たとえ支店長になっても上司から「お前の代わりは幾らでもいる。首になりたくなければ、死ぬまで働け。明日までに目標を達成しろ」と言われる修羅場の世界があることを最近知った。そしてその銀行の元支店長経験者の平均寿命は、日本人のそれより10年も短い。給与が安くても、音楽や自分が選んだ好きな世界で生きるほうが幸せである。人生はお金ではないのだ。それが分かるのは還暦後である。でもその時では遅いのだ。

芸術とは「匂い草」

 芸術の「芸」とは、草冠と「云う」から構成される。「云う」は匂うの意味で、「匂い草」の意味である。ある時期、ある場所、ある人には、良い香りで受け入れられるが、それが何時で何処でも誰にでも、通用するわけではない。何時でも何処でも誰にでも通用する世界が、「法」である。それ故、芸術家で、成功する人は生きた時代で、たまたまピンポイントにその世相に合致したごく少数の人だけである。凡人には、お金のためといっては語弊があるが、まず生活の確保が必要である。非凡な才能があっても芸術家は、全員が稼げるわけではない厳しい世界である。昔のヨーロッパの音楽・絵画・彫刻の芸術家でも、パトロンがいて生活が成り立っていた。多くの音楽家は恵まれず、天才のシューマンでも極貧のうちに亡くなった。ゴッホもモーツアルトもレンブラントも極貧のうちに死んだ。死後に世相が変わり、その芸術性が受け入れられて、評価されたに過ぎない。しかし、その時には当人の芸術家には遅いのだ。それでも自分を信じて自分の芸術を創造し続けるのが、真の芸術家である。私の場合、凡人の才能で、自動車産業という恵まれた環境でメシを食えて、その片手間の趣味で音楽が楽しめたのは幸せであった。今、人生を振り返り実感する。

 

図1~4 演奏会後のライブハウス・ラブリーでの打上会での思い出の写真。図3の中央は岐阜のジャズ喫茶ゴーストのママ。ママは皆さんの憧れのマドンナであった。私もゴーストにはよく通った。

 

2017-07-18

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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