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2017年6月24日 (土)

あなたは裏切り者? 人殺し? 女殺し?

選択と決断

 人が貴方の所に来て、頼みごとをすることがある。その時に、貴方がどういう反応をするかで、貴方の評価と将来が決まる。依頼人は数多くの候補者の中で、貴方を見込んで,つまり貴方を「選択」し、お願いを「決断」して来ている。単に出鱈目に貴方を選んで来ているわけではない。最初からやってくれそうもない人や、頼むとイヤな顔をされる人、仕事の出来に不安のある人になんかに誰も頼まない。貴方はそういう期待をされた。だから、そんな貴方を頼ってきた人に対して、「ノー」というのは、人の期待を裏切る「裏切り者」なのだ。少なくともその件に関してはマイナスの「選択」をした。相手は貴方に、「裏切り者」との烙印を押す。全ての選択には責任が伴う。その結果に対して責任を負うのは貴方である。それが3年後、10年後かもしれない。3年前、10年前の選択と決断の結果が今の貴方の姿なのだ。

 

社長の責任

 その仕事は往々にイヤな仕事か難しい仕事かもしれない。しかし難しいからこそ、自分の問題解決能力向上のよい訓練であり、貴方専用の成長の教育機会なのだ。人は少し難しい問題を解決することを繰り返すことで成長し、仕事の能力を高めることができる。それは時間を有効活用する練習をすること。しかし、それを避けているのは、つまり人の期待を裏切るのは、自分の能力を減少させる訓練をしている。貴方は○○家株式会社の社長である。家族と自分自身に対して今よりも幸せにしていく責任がある。今、その言動はその責任と期待を果たさない「裏切り行為」となっていないだろうか? 

 

貴方は人殺し? 女殺し?

  でも、「裏切りもの」と罵倒されるのは、まだ救いがある。見限られ信頼を無くすと、頼みにも来ないし、期待もされず相談相手として無視される。罵倒するのは、貴方に愛情があるからだ。愛の反対は憎悪でなく、無視なのだ。

 貴方が今までで一番多く裏切ってきた相手とは、神様ではないか。神様の前で、「どうぞ成功させてください。私は・・・をします」と願をかけ、神様を裏切ったことがどれほどあることか。

 

 貴方は人殺しなのだ。「三日坊主」という己の子供を何人殺したことやら。どんなものにも魂が宿る。プロジェクトにも命がある。多くの中からやるべき候補を選択し、計画し、やる決断をし、実行に移したはず。神様の前で誓ったはず。企業の大プロジェクトなら、神主を呼び、お供えをして、祈祷をしてもらい、全員で手を合わせ、成功を祈願する。プロジェクトの大小は関係なく、それを止めるのは、己の大事な子供であるプロジェクトの命を絶つこと。

 そのプロジェクトは女性と同じである。細心の心遣いと誠意を示さないと、そっぽを向かれて、「失恋」となる。「女殺し」と呼ばれるくらいに熱意を込めて取り組まないとプロジェクトの女神の心は掴めない。

 

 他人は知らないが、己と神様は忘れない。貴方も後ろめたいはず。そんな「裏切り者、坊主殺し、女殺し」を神様が助けるわけがない。仏の顔も三度まで。神様は一度だけ。神様だって、世界中からお願いが殺到していて忙しいのだ。神様、仏様の身になって考えよう。近い将来、あの世で顔を合わすのだから。

 

なぜを5回繰り返せ

 自分が人の頼みを、断ることがある。それは頼みに来た人の過去の因業がそうさせている。断らざるを得ない過去の言動があるからだ。その反省しなければ、悪循環で益々運が悪くなる。なぜ断られたのか、PDCAを回さないから、運が良くならない。なぜ、なぜを5回繰り返すべきなのだ。

 なぜ、なぜを5回繰り返せば、真因が「自分に信用がない、真剣でなかった」に行き着くはずである。

 

人生は航海

 人生は航海に例えられる。ボートの船長は貴方である。裏切り行為が積み重なっていくにつれ、貴方のボートは人生の危険領域に静々と流されていく。本人に自覚はない。そして気づいた時は、貴方が船長を勤めるボートは、風も吹かない、海流もない死のバミューダ海域に到達する。そこは船の墓場である。外部は無風状態だが、心の中を氷点下の冷風が吹き荒れている。幸か不幸か、認知症に罹って、それさえ気が付かない状態かもしれない。

 

 人生の航海を、後悔にはしたくない。私の人生も後悔の連続だが、あの時あの縁を生かさずに、やらなかった後悔より、やって失敗した後悔がどれだけいいことか。失敗から人は多くを学ぶ。一歩前に出る「行為」がない限り、失敗はない。しかし、それでは成長も学びも縁の獲得もないのだ。

 

過去課・現在課・未来課

 人が頼みに来る。これも一つのご縁である。過去の貴方の言動から発生したご縁である。それは仏教用語で過去課という。そのご縁をどれだけ大事にするかで、今後の人生の展開(未来課)が違ってくる。人は出会うべき時に、遅からず早からず、出会うべき縁に出会うもの。しかし、その縁に気づくかどうかは、今をどれだけ真剣に生きているかと、その熱意によって変わる(現在課)。全力で生きて、必死に学んでいて、サービス精神に徹していると、そのご縁に出会うまでの時間が短くなる。人生の成功は、そのご縁に如何に早く出会うかである。それ故どんな縁も大事にし、その縁をご縁に変える能力を身につけるべし。柳生家の家訓「小才中才大才」はそれを伝えている。

      

小才は、縁に出会って、縁に気づかず。

中才は、縁に気づいて、縁を活かさず。

大才は、袖すり合うた縁をも活かす。

           柳生家の家訓   柳生石舟斎

 

 その縁が10年後に花開く。人生でまかぬ種は開かない。人生は何にどれだけの時間と金と情熱を投入したかで、それに比例して花開くのだ。最近、この10年後というキーワードを実感している。今、種を蒔いても収穫は10年後なのだ。今やっている事は10年後にしか効かない。やらなかったら10年後にボディブローとして効いてくる。しかしその時に気づいても遅いのだ。(2017/6/24)

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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