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2017年6月28日 (水)

人生というプロジェクト

 生あるものは必ず死ぬ。春夏秋冬、始まりがあれば終わりがある。飛行機も飛び立てば、必ずいつかは着陸せねばならぬ。飛行機の離着陸に人生を感じる。

 

健気な離陸

 旅客機がある飛行場から飛び立ち、目的地の飛行場に着陸する飛行は一つのプロジェクト(PJ)である。操縦士だけでなく、管制官、機関士、クルー、キャビネットアテンダント、地上クルー、整備工場員を含め、数十名のクルーによって遂行される目的を持ったPJである。地上の整備員、管制官等の多くのサポータ全員の協力があって、このPJは完遂する。一つでも、一人でも欠けても完遂ができない。

 多くの支援を受けて飛行機が全出力を出して飛び立っていく。引力を振り切っての離陸である。その姿は健気でもある。

 

巡行飛行

 巡航飛行に入り、高度10,000mを飛ぶ飛行機は、コンパスを使い、目的地を目指す。コンパスが無ければ、何処に行くか分からない。離陸から巡航、そして着陸に到る過程はまるで一つの人生のようである。人生の旅立ちでは、人間としての育成が必要で、どこに志すかが必要である。壮年期は、北極星に相当する己の戒め、使命、志を見つめて歩かないと、人生行路で墜落・沈没する。いくら盛大な人生を送っても、晩年を見据えて行動しないと、惨めな末路となってしまう。

 

美しい着陸

 目的地に近づけば、高度を下げ、速度を下げ、フラップ、ギアを降ろして、優雅に静々と大空から降りてくる。着陸には離陸とは違った美しさがある。

 一人で生きてきたつもりでも、多くに人のご縁・支援があって全うできる人生である。飛行機事故の80%は着陸時に起きている。それは人生の終着点で、道を誤る人が多いのに似ている。その事故例は私の家系図にも見受けられる。人生の着陸が近づいてきたのに、速度を落とさず、地面に激突する人もある。荷物(遺産・肥満)を積みすぎて、離着陸での失敗をする人がなんと多いことか。多すぎるお金が人生を不幸にする事例に事欠かない。それは感謝を忘れ、利己だけを考えた人生の結末である。残すのが金だけの人生は哀しい。何のために生まれたのか。それでは授かった天命を知らずに生きたのと同じで、屍の人生である。

 

来世へ旅立ち   Departure(死、航海の出発、撤退)

 お墓とは一つの人生を終えて、次世の大空に旅立つための基地である。戒名という来世飛行コードをもらい、佛弟子として佛道を行じるという道に修行航路を向ける。墓地はその離陸する基地なのだ。

 2008年に公開された映画「おくりびと」の英語題名はDepartureである。

 

 

図1 交通整理をする管制官がなければ、離陸も着陸もできない

  管制塔の中で、管制官がパイロット以上に神経を使って多くの飛行機を管制している。

図2 雨の中で手荷物の積み込み 長崎空港

図3 地上クルーの打ち合わせ  セントレア

図4、5 地上クルーのチーム活動 セントレア

図6 離陸  2015年9月16日  セントレア

図7 欧州から夜を徹して飛行してセントレアに着陸 2015年10月20日

 

 

6月29日は九州出張につきブログは休載します。

 

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