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2017年12月 7日 (木)

ANA機内で帝国滅亡の兆を観る(改定)

 私は年に12回ほど、馬場恵峰師書の写真撮影と通院のため、中部国際空港と長崎間をANA機で往復している。そのANA機内放映の内容が、退廃したローマ時代末期の飽食の様を見るようで辛い。ローマ帝国の滅亡は、外敵の侵略のためではない。ローマ人が退廃して内部から崩壊したのだ。飽食に明け暮れ、飽食を宣伝し、TVグルメ番組が幅を利かす日本の現状は、ローマ時代末期の飽食の様と同じではないのか。日本は金儲け主義の企業が、日本を衰退の道に追いやる。航空会社の企業使命は、乗客を安全・安心・快適に目的地に運ぶこと。この機内放映行為は経営理念に反している。現在は、安全・安心・不快適である。これは現在のテレビ番組も同じである。

 

痴呆的な恍惚表情を見せつける拷問

 機内放送の映像では、食べるシーンばかりのCM映像を何度も何度も流す。僅か小一時間内に、多い時は10~20回も、である。「うまい、うまい!」といって恍惚の表情を浮かべ、痴呆的な顔の映像を、何度も繰り返し見せるのは映像暴力である。見るに耐えられず不愉快になる。機内で身動きが取れないので、目に飛び込んでくるのを拒否もできない。身動きもできず、見たくないものを強引に見せられるのは拷問である。新幹線や他の施設、海外の航空会社では、こんな拷問はない。テレビなら消すか、その場を去ればよいが機内では、それもできない。いつから日本は、人の飲食姿を見せつける下品な会社が跋扈する国に成り下がったのか。

 

金儲け主義の果ての姿

 最近の日本は隣国のように段々と下品になってきている。日本人の品格下落の助長を日本の代表する会社・ANAがやっている。金儲け万能の会社と思わざるを得ない。日本人は食いすぎで病気になり、30年前は10兆円であった医療費が40兆円になり、その負担を国民に強いている。その一因が、あまりに多い食物関係、特にファーストフード・清涼飲料、加工食品関係のTVのCMではないだろうか。その延長線上の病状が、肥満、ガン、認知症患者の増加である。金儲け主義のグローバル経済主義の果てが、1%の富裕層と99%の貧困層の格差社会への転落なのだ。テレビという洗脳教育兵器の恐ろしさに、目が覚めないわが国民が情けない。最近は、そのテレビも偏向報道、フェイクニュースを平気で流す媒体にまで堕落した。そのマスコミは、良識から指摘があってもそれに対して居直る恥知らずである。早く我々が目を覚まさないと日本が滅亡する。

 

 

食欲の位置づけ

 食欲睡眠、交尾は、人間の原始的機能で、原始動物そのものの欲望である。動物なら好き嫌い、恐怖を感じる感情動物である。人間は、考える、創造するという精神レベルの存在である。その原始的機能の食べるという欲望をさらけ出し、金儲けのために食べるシーンを見せつけるのは、動物以下である。

 それは単なる野獣としての肉体的欲望の姿そのものである。文明人は、それを作法とか文化として隠すのが教養ある姿勢である。それを、CMとして痴呆的な恍惚表情で食べるさまをさらけ出すのは、未開人と同じではないか。ANAが食文化を追及して、広めるのを社是として展開しているようだが、それが航空会社のやるべき使命ではない。航空会社の使命は、安心・安全・快適に乗客を目的地に運ぶこと。企業メセナとは芸術、文化の支援であり、原始動物レベルの食い物文化を広めることではない。

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企業メセナ

 メセナ(フランス語: mécénat)とは、企業が主として資金を提供して、文化・芸術活動を支援することである。メセナの代表的なものに財団などを通じた資金的バックアップや、企業が主催するコンサートやオペラの公演、スポーツなど各種イベントの開催などがある。

 企業がメセナに貢献すべき理由として、『企業は経済活動のために環境に負荷を与え資源を浪費する。同時に文化を支える人材を労働力として収奪してしまうため、文化で次世代に還元する必要がある。』と言われている。mécénat は、フランス語で「文化の擁護」を意味する。

 ANAが推進している食い物文化の広報は、「文化の擁護」ではない。ANAは金に目が眩んで、勘違いしている。文化とは、原始的レベルの話しでなく、精神レベルの話なのだ。

 

サブリミナル効果という犯罪

 映画のフレームの中にポップコーン等のジャックフードの画像を挿入すると、映画放映の休息時間に、無性にその食べ物を食べたくなるのをサブリミナル効果という。それは法律で禁止された手段である。それと同じことを、堂々と機内放送で実行しているのが現在の国内航空会社である。テレビなら消せばよいが、機内では如何ともしようがない。中部国際空港から長崎への便はANAに限定される。客は航空会社を選べない。これは、陰でこそこそするサブリミナル効果どころではなく、堂々としたメインリミナル効果である。これは暴力である。

 教養の高い人は公衆の面前で、生理現象である食べる姿は見せない。痴呆的な表情で食べ続ける姿を、「金儲けのため」に乗客に見せる企業行動は狂気である。そのために高い航空運賃を払っているのではない。繰り返し飽食の映像の放映は洗脳教育の一種で、日本人の愚民化に手を貸している。これは日本を代表する航空会社の企業ブランド毀損事例である。経営診断での興味深い「失敗事例」にはなる。私は今、執筆中の本の事例に、本件を追加する予定だ。

 

サブリミナル効果

 1900年、米国の心理学教授Dunlapは瞬間的に見せるshadowがMüller-Lyer illusionの線の長さの判断に影響する、と述べた。20世紀半ばにはマーケティング業者が広告にその技術を用い始めた。1973年には、ゲーム「Hūsker Dū?」の宣伝にサブリミナル刺激が用いられ、それが使われたという事実がウィルソン・ブライアン・キイの著書で指摘されたことで、米国連邦通信委員会で公聴会が開かれ、サブリミナル広告は禁止されることになった。日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化した。

 現在、映画やテレビ放送などではほとんどの場合、使用を禁止されている。

 当初は心理学、知覚心理学だけの領域であったが、現在は広告研究、感情研究、社会心理学、臨床心理学など幅広く様々な関心から研究されている。

 1957年9月から6週間にわたり、市場調査業者のJames M. Vicaryは、ニュージャージー州フォートリーの映画館で映画「ピクニック」の上映中に"実験"を行なったとされている。ヴィカリによると、映画が映写されているスクリーンの上に、「コカコーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」というメッセージが書かれたスライドを1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し二重映写(フィルムのフレームを差し替えたと信じている人が多いが誤解である)したところ、コカコーラについては18.1%、ポップコーンについては57.5%の売上の増加がみられたとのことであった。しかし、ヴィカリは、アメリカ広告調査機構の要請にも関らず、この実験の内容と結果についての論文を発表しなかった。(この項、wikipediaより編集)

 

図3 機内のどこからもで食べるシーンを見せつけられる。

   嫌やでも目に飛び込んでくる。拷問である。

図4~9 食べるシーンが繰り返し繰り返し放映される

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 本記事の原案を、航空会社の名前を伏せて、ブログに11月1日に掲載しました。その後、個別にANAに意見を求めたが、それに対して顧客無視で、ANA経営ビジョンに反した回答書を受け取った。それはANAの主張をゴリ押しする回答であった。それを踏まえて以前の記事を改定して再掲載します。

 2017-12-07

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年7月10日 (月)

某歯科医院の経営診断

顧客不満足度100%

 ある歯科医院で歯垢取りの処置を受けた(2012年10月4日)。このとき腹立たしい扱いを受けた。顧客の商品に対する不満足は、商品そのもの質の高低ではなく、客として人間扱いされない場合の影響が極めて高い。

 歯垢を取る処置で4本目の歯にかかった時、向こう側の席にいた院長が「〇〇くーん、ちょっと来てくれ~」との声が聞こえ、その男性歯科医は今の処置をおっぽり出し、その院長のところへ飛んでいった。処置中の患者には一言の断りもなく、である。部下の状況を見ずに部下を呼んだ院長も、院内の処置中の患者のことは考えていなかった。その後、女性の歯科医が引き継いで歯垢を取る処置にかかったが、一言の挨拶も説明もなかったし、医師同士での何処まで終わったかの引継ぎの基本的な会話も聞こえなかった。不安になったが、患者の身では成されるがままである。慌てて引き継いだためか、女性の歯科医は男性の歯科医よりも技量が低いのか、いつもより数多くの痛い思いをさせられた。まるで工場のコンベア作業のようで、患者は養鶏所で金を産む鶏扱いだと感じた。黙って帰宅したが、今は思い出すたびに怒りがこみ上げてくる。

ボディータッチの意味

 この院長は親近感を出すつもりで、馴れ馴れしく患者の肩をたたくことが多い。その行為が、患者の心境を酷く害して不快感を与えている。この行為は、自分が偉く、相手より上位であると誇示する時のボディーランゲージである。常識的に目上の人にはボディータッチなどしない。患者と医師の関係は、上下関係かもしれないが、その前に長幼の序という社会の掟がある。はるかに年下の人間から、そんなボディータッチを受けると、侮辱されたような感情がわきあがってきて不愉快極まりない。

 社長がどんな偉いことを言っても、部下は正直で、上司の背中を見てまねをする。親が言っても子供は言う事を聞かないが、親のやっていることをまねる。そのせいか、この医院の若い歯科医もはるかに年長者の患者の肩を叩いて、親近感を出すジェスチャーをして患者の心象を害している。悪いことに院長も部下も、患者が心象を害していることに全く気づいていない。私は還暦を過ぎた歳で、今までで、医者はおろか上司からもボディータッチされた記憶はない。そのせいか、院長は丁寧な言葉遣いではあるが、私の耳には慇懃無礼な印象を与えた。本人は意識しなくても、いくら隠しても、深層心理学上では、言動に本心が表れる。

院長写真の悪印象

 この歯科医院案内書、新聞チラシに掲載された院長の写真も異様である。腕を組んで斜めに構えてこちらを見据えている姿と異様な口の開き方である。腕を組む姿勢のボディーランゲージの意味は、相手への「拒否」である。湾岸戦争の時(1990年)、フセイン大統領が、捕虜の英国少年に自国の「慈愛に満ちた」活動のPRのため、話をする姿を放映したが、少年はフセイン大統領に対して腕組をして、黙って拒否反応を示した。さすが大英帝国の末裔の少年だと全世界のマスコミが、ボディーランゲージの意味を解説して賞賛した。

 写真の斜めにこちらを見据えている視線も異様である。私も会社案内書、会社決算報告書での社長の写真等で千枚枚以上のトップの写真を見てきたが、こんな視線のトップの写真は見たことがない。顎を少し上げ、見下したような視線が哀しい。姿勢もふんぞりかえっているような印象を受ける。口の開き方も、どんなメッセージがあるかは不明であるが、少なくとも笑みの口の開き方ではない。口の両サイドが下がり、幾分下に反り返った口の形が、相手に不快感を与えている。普通の笑顔では口の両端が上がっている。その写真は、見る相手に「拒否」の姿勢でふんぞり返って、斜め上から視線である。患者に何を伝えたいのか、疑問を与える写真である。

 新聞のチラシにもこの写真が使われていたが、全体印象が異様である。さらに、その用紙がパチンコ店の広告より質の悪い紙で、極めて低俗な安っぽい印象を与えている。提供する紙の質も、大きなメッセージである。その前提として、歯科医院の広告を新聞チラシで行うこと自体、疑問を感じる。医療は特売するような商品ではない。そんなに儲けたいのか。

院長名刺の特異性

 院長の名刺も異様なデザインである。会社生活38年で5,000枚の名刺を交換して、大部分を保存している。現在、名刺のテクニカルライティング的な研究中で、名刺占いの本を出版する予定をしているが、こんな異様なデザインに出会ったのは初めてである。テクニカルライティングの専門家として、名刺と会社案内書を見れば、「会社と社長の人格が分かる」が私の主張である。なにせ社長の名刺はその会社の顔である。

 三河の某駅の近くに、患者の血を吸って儲けたと噂される赤レンガの病院がある。実際にそこで診察を受けて、金儲けとしか思えない過剰治療を体験した。悪い噂に納得し、すぐに別の病院に転院した。レンガ色の名刺を見て、それを思い出した。医師には医師のイメージがある。ラテン語のペルソナとは仮面のことで、社会では全員が仮面を被って人生劇場を演じている。そこからパーソナリティという言葉が生まれた。人はその仮面のもつ意味を信じて人間関係を築いている。医師の仮面のイメージカラーは白衣の白である。そのイメージに合っていない名刺デザインである。

 

図1 他人を動かす

 

2017-07-10

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Photo

2017年7月 9日 (日)

耳を無くした佛は多聞天に出世できない

暴力メールの来襲

 ある経営者仲間から一方的に届く広報メールに煩わしさを覚えていた。この広報メールの冒頭に社長の一文がある。文面の表現は勇ましいが、打ち上げる花火のような空しさと謙虚さの欠如に嫌気が差した。メールで事務局宛に、「読むのが苦痛です。苛立ちも覚えます」と配信中止の依頼をした。自分の体の管理も疎かな人の大言壮語の戯言は読みたくも無い。多くの偉人の言葉を引用して激を飛ばしても、自分の言葉になっていないので空しい。まず感謝の心が伝わってこない。これでは社長メッセージを読むのが苦痛である。HPやブログと違い、広報メールは来れば読まねばならぬ。無為なメールは顧客の時間を奪う暴力である。(2015年1月20日)

現代の裸の王様イソップ物語

 それで、何か反応があるかなと内心期待をしていたら、全くの無反応で拍子抜けをした。社長の名刺には「いかなるクレームも社長の自宅に電話」とある。わざわざクレームの電話を社長にするなどは、電話する方が気苦労である。電話をする方だって、1秒1円のコストがかかっている。アホな社長に電話をするくらいなら、己の顧客の面倒を見る方がもっと大事である。上記の「社長の自宅に電話」こそが傲慢そのもの姿勢である。下々が己のために時間を割いて会社を良くしてくれる情報を上げてくれると思うのは驕りである。その驕りが社長の名刺に表れている。本来、声なき顧客の声を聴くのが広報の事務局である。広報の事務局は社長にこの件を報告しなかった。広報メールの受け取り拒否は、顧客からのクレームである。それを社長に報告しなかった事実は、社長が裸の王様になったことを示す。事務局は社長に言っても仕方がないと、社長の耳に入れるお役目を放棄した。事務局は高野山の中門に相当する。中門に立つ四天王として一翼を担う多聞天のお役目は、会社で言えば広報事務局、国で言えばCIAである。顧客からの声が届かないのは、知らぬは社長ばかりなりの裸の王様イソップ物語である。(2015年2月4日)

経営如来を目指して

 耳を無くした佛は、多聞天にはなれない。まず多聞天に出世しなければ、経営如来には昇格できない。多聞天とは佛界のCIA長官である。八百万の神が下す経営会議の決議が、己の病気である。それが大企業病の初期症状である。たった一通のメールの対応で、会社の経営診断が可能である。返事が無いという情報も、会社経営分析のためのデータである。情報の氾濫する現代社会の中で、情報なき情報を聴き、声を観るのが大事な第三の目である。己という60兆個の組織に向けられる声なき声を聴こう。身の回りの佛は、己の良きも悪きもお手本として人生劇場を演じてくれる。良き人生経営であるために心して観察しよう。人は山には躓かない。蟻塚につまずく。大言壮語する人が怪我をする。まず足元を固めることである。前のめりで焦っていては、声なき声も聴こえまい。現在も状況は変わっていない。相変わらず、無為なメールが届く。この会社にはブレーキがない。(2017年7月9日)

毘沙門天とは

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も法を聞くことから名付けられている。「法」とは「三水」の「水」が「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。その行為がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、時間節約の答えは自ずと見える。法に反した行いは経営損失の最たるの。人生の「法」程式を覚えよう。人生の受験勉強には、法程式を記憶するに限る。

多聞天を支えるもの

 毘沙門天の足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。

 毘沙門天を支えるこの群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。目の前に現れる事象には、いい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。人生の経営者にはそれを見極める能力が求められる。そのためには、法を学ばねばならない。

事象を総合判断してこそ経営者

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界である。どんな人生でも、この六界がある。パチンコの人生でも、チンジャラと玉が出まくるのが天上界、玉が出んぞ!とパチンコ台のガラスを叩いて叫ぶのが修羅界、全てスッテしまってとぼとぼと家路につくのが畜生界、それが原因で家で恐妻と大喧嘩をするのが地獄界である。人の一生でも同じように、六界が入れ替わり立ち代わり表れる。大学に合格すれば天国で、左遷されれば地獄界である。地獄界でじっと修行をすれば天上界への道が拓ける。社長は、社員のために地獄界を天上界に変える責任がある。己が自分株式会社の経営者として、今の地獄界どう変えるかが問われる。そういう状況で、社長の貴方はどう戦ったのか? 社長には、やったことだけでなく、やらなかったことにも責任が問われる。

 

2017-07-09

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2017年7月 8日 (土)

「病気と闘う」とは佛様に対する暴言

病気になった真因

 病気になった原因は己にある。佛様は己の体を慈しみ、最高の結果として病気を授けたのだ。日頃、適量以上に食べ過ぎれば、爬虫類の脳は、この40億年間の飢餓状態に思いを馳せ、餓死を防ぐために己のお腹に脂肪をせっせと溜めるため本能を働かせる。食べ物が豊富にあるのは、有史以来でこの数十年間にしか過ぎない。それまではずっと飢餓状態であった。食べ過ぎれば太り、結果として高血圧、糖尿病になるのは、生理学的に最高の結果である。食べ過ぎて痩せるならば、自然界の「理」に合わず、仏さまが悩んで鬱病になってしまう。

ガン発病の真因

 ガンとはストレスや食べ物が原因の腫瘍で、種の保存の本能で悪いものを一箇所に集めて全体に拡散させないために起こる結果である。そこを手術で除去すれば当然、集める場所を新たに作ることになる。それがガンの転移である。ガンになった原因を除去しない限り、ガンは無くならない。父は2001年に胃癌と診断され、胃の全摘をすれば完治するとの医師の言葉を信じて、胃全摘手術を受けた。その後、肝臓に癌が転移をして胃の全摘手術後の1年後に世を去った。医師を信じて胃の全摘手術を承諾した己の愚かさにはを今も慙愧にかられる。その真因を加工食品やマーガリンの不適な食材だと推定している。

高血圧の真因

 高血圧も血管の硬化や血管内部にプラークが堆積したため、血圧を高めないと毛細血管の細部まで血が行き届かないので、血圧を上げて生命の維持を図っているに過ぎない。それを佛の働きという。病気と闘うのではなく、頂いた病気を佛様からの啓示と受け止め、病気と共存して生活習慣を正す。それが病気という赤信号で報せてくれた佛様へのご恩返しである。その警告を無視して、降圧剤を飲み、対処療法だけで済ませて、生活全般の悪習を改めないから、血の巡りが悪くなり認知症になる。血液の大事な免疫酵素が隅々まで運ばれないので、ガン等の病気になりやすくなる。母は肥満・高血圧に起因する脳内出血・脳梗塞が原因のため69歳で世を去った。要は運動をせず食べ過ぎである。

私の大腸ポリープの真因

 私は2009年の体調不良で、病院の門を叩いて診察を受けたご縁で大腸ポリープが見つかった。大腸ポリープが体調不良の原因ではなかったが、病院の門を叩いての成果であった。すぐに内視鏡で切除手術を受けて完治はした。その時、5つの小さいポリープが出来ていたが、病理検査の結果、4つはシロであったが、一つが5段階の第3レベルの癌かもしれないというグレーゾーンの判定であった。それでビビッてしまった。病院は「あなたはポリープができやすい体質なので、毎年、内視鏡検査を受けなさい」という指示であった。大慌てで本を読み漁り、その対策を打った。自分で調べて納得したこの真因は、便秘、野菜摂取の少なさ、肉類・揚げ物等の食べ過ぎ、体の冷やしすぎであった。それで、毎日水分1.5リットルの補給、お風呂に10分間入るなどの生活習慣を改め、食事を改善して対応した。その結果、8年経った現在は健康で、内視鏡検査を毎年など受けないで済んでいる。元を絶たなきゃダメですよ。対処療法は一時しのぎである。

種族保存のしかけ

 人間は他の命を奪うことで生きている。太るとは食べ過ぎであり、他の命を必要以上に殺めているという佛の警告である。自然界の共生に反する行動であり、罰が当たった結果が病気である。例えば、種の保存の防衛手段として、卵には食べ過ぎると毒になる成分が含まれている。その毒が痛風を発症させる。だからタラコや明太子、キャビアの食べ過ぎは危険である。卵だってそうしないと、食べ尽くされて種族滅亡に追い込まれる。卵さんも必死なのです。卵さんの身になって考えよう。美味しいものには毒があるは、真理です。

入れるより出すことが大事

 食べ過ぎて出すことをきちんとしないから、老廃物が体内に蓄積して病気なる。入れるより出すことが大事なのだ。頭に血のめぐりを良くさせないから、認知症、うつになる。金を貯めるだけで出さないから、日本の景気が良くならず、子孫の醜い相続争いが起こる。経済の病気である。人間の体もお国の経済も同じ原理である。ご縁の恵みを回さず、不義理をするから、不運という病気になる。悪縁を排除しないから、同類の悪縁が寄ってくる。全て自分の責任である。不運の御祓いを神仏に願ってもお門違いである。病気、事故、不運は全て神仏からの啓示である。悪い生活習慣を変えず、薬やご祈祷のお札だけの対処療法で治そうとするから、佛様の反撃を食らう。仏さまだって、不節制の人間を病気にしないと、他へのシメシがつかない。仏さまの身になって考えよう。罪ある人間に病気を与えないと仏さま達の役員会で怒られてしまう。

親の最期の教え

 親は死ぬことで、「あんたもいつかは死ぬんだよ。私たちの死にざまをよく考えて、これから生きる糧にしてくれ」と言って最期の教えを示して死んでいった。己はそこから何を学ぶのか? 親と同じ過ちを繰り返すのか? それこそが親不孝である。

医師は治療をするが治せない

 気づいた時点で、改めるべきことを改めれば、佛様のご加護がある。1日早ければ1日早い、病魔・悪縁からの離脱がある。病気とは自分で治すもの。病院は金の儲かる治療はするが、病気は治せない。治すのは本人である。本人が治す気にならないと、病気は治せない。気づいたときが、最高の始める時である。死期が目前でも、一日一生の信念で、一秒でも早く方向転換をすべしだ。人は死ぬ直前まで、魂を成長させるべきである。それが魂を持った人間の勤めだ。そのためにも長寿であるように日頃の生活を心して送るべきだ。

 

2017-07-08

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カテゴリー「経営診断」追加

 今回、新たに「経営診断」というカテゴリーを追加しました。経営コンサルの立場で観察して目に付いたエピソードを掲載します。人生道を走るのも、自分の健康管理も、会社の経営も基本は同じです。

 

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