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2025年2月16日 (日)

孤独死、遺品整理、生と死からの学び

 

孤独死

 昨年、借家の店子さんが孤独死をされた。その遺品整理で人間の生と死を学んだ。

 その店子さんはがんになり、介護士が定期的に訪問して面倒を見ていた。彼が入院しなかったのは、お金が無かったためのようだ。店子さんは亡くなって翌日訪問してきた介護士に発見されたので、事故扱いにはならず、行政が事務的に死後処理をすませた。それが大家の私に事後報告されたのは2週間ほど後である。処理費用(葬儀、火葬、埋葬)は行政の税金からである。

 その後、私が彼の遺品の書類を調べていたら、彼は一度破産しており、生活保護を受けていたことが判明した。大家の私はそれを知らなかった。これは個人情報なので、大家が知らなくても致し方ない。しかしこれで人生の闇の世界を垣間見た。

 また私の世界とは異次元の世界を垣間見た。遺品整理で、その家の中を見たら、ゴミ屋敷状態で、その中、書籍が一冊もなかったことだ。ここは私の住む世界とは違うと感じた。生活保護を受けているから、ある程度は想像できるが、本のある生活とは隔絶した世界に生きていたのだと、改めてその生活姿勢に、疑問を感じた。

 

後始末

 店子さんは身寄りがなかった。行政が彼の親戚縁者を探したが、見つからなかった。行政が探してわからないので、大家としては手の打ちようがない。店子がなくなったので、その保証人に事故費用を請求するにも、破産した人の保証人では対応が難しい。弁護士に頼んでも、相談するだけで、一回10万円が必要である。それで費用を回収できるのはまれである。そういう案件で、相手が素直に払うのはまれである。法律的に対処しても、成果が上がらず、手間ばかり増える。だから私はその処理を諦めた。

 

 不幸な事件が襲ってきたら、自分がその不幸をかぶればよい。それが功徳、陰徳である。それを無理に避けよとすると却って害が大きくなる。それは良寛さんから学んだ私の人生観である。

 私が故人の法要をお寺さんにお願いしたが、お寺さんからそれは功徳だとほめられた。

 

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。 良寛

 

廃業

 昨年は体調不良で動けなかったので、後始末が今年にずれ込んだ。

 いろいろと検討の結果、後片付けの費用負担で、弁護士に相談するのをやめ、遺骨の納骨、読経、4つの位牌、ご両親の遺影のかたずけ、お祓いをお寺さんに頼み、先日、無事に済ませた。その費用は相応にかかった。また他の遺品の整理を専門業者に頼むので、また相応のお金がかかる。借家業をやっていれば、いつかは起こる事故である。

 今の借家も築60年であり、耐用年数も限界であり、それで借家業は廃業することにした。借家業も生老病死である。空き家が増加の一途の現代日本では、借家業は時代に合わないと判断した。

 

吸血鬼商売

 遺品を調べていたら、S会社の健康食品の注文伝票、ダイレクトメールの山が出てきた。店子さんはがんになり、医者のかかる費用を削減しようと、民間治療食品で治そうと、健康食品を定期的に買ったようだ。

 第三者の目から、またがんを患ってその研究をした人間の目から見ると、人の弱みに付け込んで金儲けをしている悪徳商法、ハイエナ商売、吸血鬼商売に騙されていたと判定した。そんな健康食品では、がんは治らないし、健康なんかにはなれない。それは、私ががんになり、自分の体と向き合って学んだ結論である。

 そのSメーカは世間では一流の会社で通っているが、人の弱みにつくこむ悪徳会社であることが露見した。君子危うきに近づかず、で今後は注意して対応する予定である。

 

生活保護

 現在、生活保護受給世帯数は約164 万世帯。 高齢者世帯の増加により、 世帯全体は増加しているが、高齢者世帯以外の世帯については減少傾向が続いている。 生活保護受給者数は平成28 年11 月現在で214 万5930 人となっている。 世界金融危機以降急増したが、 季節要因による増減はあるものの、 近年、 ほぼ横ばいで推移している(厚生省)。生活保護世帯への補助費用は約4兆円。税金である。

 

 令和5年度の国の税収72兆761億円 で、生活保護世帯への予算の全体に占める割合は約5%である。生活保護者が214 万人とは日本の人口の1.7%である。それが税収の5%もお金を使っている。なにか違和感を覚える。

 教育に投資するなら納得できるが、返ってこない方面に金をばらまいても、日本の将来のためにはならない。現在の予算が適正なのか、検討の余地がある。

 

 

自業自得

 生活保護を受けるのは、言い方は酷だが、自己責任の部分がかなり大きい。やはり人生のやり方、取り組みが甘かったのだろう。勉強をあまりせず、経営の勉強もせず、個人事主として、自転車操業でやっていたようだ。それは彼の家にテレビはあっても、新聞、雑誌はおろか、書籍が一冊もなかったことで推察される。

 生きている限り、他人様に迷惑をかけず、人生を全うしたいもの。生活保護を受けるとは、他人様に迷惑をかけること。

 それで破産するとは、人生設計、人生経営、会社経営が甘かったのだろう。

 病気になるとは、自分の体の経営に失敗したのだ。狂った生活、狂った食生活をすれば、病気になるのは宇宙根源の法則。それで健康な人の健康保険金を使い、健康な人から税金で金を奪うことになる。最後まで、他人に迷惑をかけず生きる。それを最低の基準として生きたい。

 日本人の基本生き方は、ひと様に迷惑をかけず、生きる、である。お天道様に顔向けできない生活をしない、である。

 今回、大きな損害を受けたが、この事例を他山の石として、自分の人生の反面教師としたい。

 

 

2025-02-16  久志能幾研究所通信 2997号  小田泰仙

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