「みんな違って みんないい」、一神教は戦争を招く
詩『私と小鳥と鈴と』(金子みすゞ作)が、争いを無くす
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
一神教の戦い
西洋の十字軍兵士を描いた絵画で、その姿は右手に経典、左手に剣のスタイルである。つまり「我々の神を信じるか、さもなくば死を選べ」の意味である。一神教は、妥協はなくどちらかを選択せねばならぬ。
それに対して多神教は万物に神が宿るとして、全てを受け入れる寛容さをもっている。
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キリスト教の布教
イエズス会の宣教師だったザビエルが、日本に初めて来日したのは1549年のこと。彼は日本でキリスト教の布教につとめたが、諦めて1552年には中国へ移った。
一時は隠れキリシタンが激増したが、その後、江戸幕府により鎮圧された。それから約500年が経つが、日本でのキリスト教徒は人口の1%ほどしか広まっていない。希しくも共産党支持者の比率と同じである。現実が正しいのだろう。
キリスト教のような一神教は、日本の風土と合わないようだ。キリスト教は中東の厳しい環境下で育った。仏教は穏やかな気候の豊かな食糧事情のアジアで育った。キリスト教・ユダヤ教の教えの激しさ故、今でも中東の争いは2000年間も続いていて収まる気配もない。その宗教が生まれた背景を知るとその末路に納得される。
多神教の日本
また日本では豊かな実りと同じように自然災害が多く、一神教の絶対的な存在がかすんでいる。台風、土砂崩れ、津波、火山噴火、大地震等の自然の猛威の前に、人為的に考えた神では太刀打ちできない環境である。だから日本では自然崇拝思想が起きた。
そのため日本は多神教で、万物に神が宿るとされた。仏教は寛容の精神で、おおらかな信仰環境である。神仏一体である。
それを宣教師から、「先祖は、キリスト教徒でないので、地獄に落ちている」と断言されれば、ご先祖を大切にする日本人は引いてしまう。
日本人の一農民が「今までキリスト教の宣教師が布教にきていないのに、今さらご先祖はキリスト教徒でないので、地獄に堕ちたままというのでは、納得できない。キリスト教では救いはないのか。絶対的な創造主というなら、なぜこの世に悪人を作ったのか」とザビエルに質問して、ザビエルは言葉に詰まったという。
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一神教の猛威
秀吉がキリスト教を禁止したのは、宣教師が日本人を騙して奴隷として海外に売り飛ばしていた悪事が露見してのことだ。
キリスト教の宣教師が未開の地に行って、キリスト教を普及するのは、まず宗教で住民を手なずけて、後から植民地にする狙いがあったからだ。それは宣教師も知らないことだ。スペイン、ポルトガル等の欧米の国がやってきたことだ。
ハワイ島も同じで、米国がハワイに進出して、最後は、王様を殺して、植民地にして、米国に併合した。そして太平洋を渡って、フィリピンを植民地にした。
キリスト教では人間と動物を峻別する教えを説く。そうしないと小麦しか取れない痩せた土地では生きていけない環境である。だから家畜を殺して食べねばならぬ。飼育している家畜に情が移れば、殺して食べることに弊害が出る。だからキリスト教徒以外は、人間でないとの原則を作ったのだ。キリスト教徒以外は、動物と同じ扱いをして(殺しても)も問題がないとローマ法王のお墨付きである。
上記の説は鯖田豊之 著『肉食の思想』で解説されている。私はこの本を高校生時代に読んだ。57年前である。現在でもこの本は中公新書として売られてる。欧米人の考え方を理解するうえで、お勧めの図書である。
欧米人はアフリカからアフリカ人を奴隷として狩り、彼らを欧米に家畜扱いで奴隷船で運び、その過程で1240万人が死んだという。アメリカ大陸発見のコロンブスは奴隷商人であった。
キリスト教では、信徒とそうでない人間を峻別するので、ナチスのユダヤ人虐殺で数百万人を殺し、アメリカ大陸で西部開拓の美名の元、原住民のインデアン950万人が殺された。オーストラリアでは現地人のアポリ族がほとんど殺された。
コロンブスがアメリカ大陸を発見してから、200年間で、キリスト教徒は約9000万人(サバイバル・インターナショナルによる統計)の先住民を殺したとされる。
そのキリスト教の人間の峻別思想で、欧米なら落とさなかった原爆を日本に落して非戦闘員20万人を虐殺した。その前に東京大空襲で、焼夷弾を落とし、東京を火の海にして非戦闘員の10万人を焼き殺した。それでいて、米国人の半分以上はその件で罪を感じていないし、それが今でも正しかったと洗脳されている。
現在、欧州で移民の混乱が頻発しているが、これも彼らの先祖がした悪行の因果応報の末路なのだ。
同じ様に共産主義も一神教と同じく、思想が違うとして、全世界で少なくとも約1億人の人を殺したとされる。ロシア革命以降で下記の人数が殺されている。
- ソ連:2000万人
- 中国:6500万人
- ベトナム:100万人
- 北朝鮮:200万人
- カンボジア:200万人
- 東欧:100万人
それを支持する政党が日本にも存在することは怖ろしいことだ。
日本の政治屋の親中派も、その類の思想がある。ご用心である。
ある町内の宗教戦争
ある町内でも宗教戦争があった。ある家では、地蔵尊祭りで、ある班長さんがそのお下がりをその家に持って行ったら、「うちはキリスト教だ」とそのお下がりを投げつけて返された、と泣いていた。当然、班長としてお地蔵さんのお花当番も拒否である。当時の自治会長がその件である知人に頼みに行ったので、その人が代行した。本来なら、本人が代行をお願いしにくるのが筋だが、そんな常識が通用する相手ではない。
その家は近所付き合いが全くない。その家は、班長の当番が回ってきても、草取り行事にも参加していなかった。
東京のキリスト教徒なら、常識として町内の行事には参加する。きちんと他宗教にも敬意を払う。だからそれ以前の人間性の問題である。キリスト教を盾に、めんどうな町内の付き合いを拒否していただけだと思う。
私だって欧米に行って、教会を見学する時は、敬意を払ってお参りする。バチカンの協会でも、ピエタ像、バチカン美術館の宗教画には感激した。
宇宙根源の理
宇宙飛行士の多くが、一神教に疑問を抱いて地球に帰還するという。宇宙船から真っ黒な宇宙を見て、そのなかに青く光る地球がぽっかりと浮かぶ。その姿に宇宙船士は感動する。ガガーリンは「地球は青かった」と言った。宇宙船で地球を周回すると、紛争地や平和な土地の上空を宇宙船は数十秒で通過する。それを見ていると、地表の紛争がバカらしく見えるそうだ。
我々は大自然の前では、小さな存在であることを意識しないと、社会や地球が亡ぶ。宗教の違いなど、大自然の前では些細なことだ。下劣な政治の争う前に、自然界が猛威を振るう現実を見据え、目を覚ましたい。
カネ儲け主義で、豊かな大地を丸裸にして、太陽光パネルを敷きしめる愚かさに反対の声を上げたい。そんなことをすれば、必ず自然からのしっぺ返しを食らう。私は宇宙根源の理教の信徒になりたい。我々 は土から生まれて土に還る。我々は自然界から生まれた子供なのだ。我々は大自然の前では無力なのだ。
2024-11-11 久志能幾研究所通信 2967号 小田泰仙
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