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2024年9月14日 (土)

薬膳の洗礼(3)気の癒し、東洋医学

 

命の輝き

 朝、カーテン越しの柔らかい朝日で目が覚める。目が覚めと枕元にぬいぐるみの熊?が、朝のご挨拶である。

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 ここで一番感激したのは、窓辺に植えてある薬草の葉が朝日を浴びて、葉の上の朝露がキラキラと輝いていたこと。命の輝きを目にした思いである。こんな感覚を覚えたのは、初めてである。

 

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 人は気で動いている。気は食事の気と太陽の気から体に入ってくる。当然、食事を摂らないと、気の補充が無くなるので死である。太陽を浴びないと、生気がなくなる。気が無くなると死である。

 元気、景気、天気、陰気、陽気、気質、この世は全て気で出来ている。

 

西洋医学と東洋医学

 西洋医学は目に見えるものを対象とする。それに対して東洋医学は目に見えない「気」を対象とする。だから西洋医学は、検査で悪い結果が出ないと何も始まらない。症状が目に見えるようになると、かなり進行している。それでは遅いのだ。それが西洋医学の限界である。

 

科学とは

 「科」とは「禾」偏と「斗」からなる象形文字である。禾は稲である。「斗」とは穀物を計る升である。つまり範囲を限定して、その中にあるものをつぶさに調べる方法論である。その「斗」によって、全体との関りを切ってしまうことだ。

 西洋医学は科学である。科学は分類である。物事を計って、ものごとを分類して、細部までに分解して追及する。西洋医学はその部分を治療する。だから、細部の癌を見極め、攻撃の治療をする。結果がんは治りました。しかし患者は死にました、となる。木を見て森を見ずである。それに対して東洋医学は全体から入る。この人の気はどうなっているか、から診察に入るである。

 

 西洋医学の医師に、「なにか調子が悪い」と訴えても、何もしてくれない。東洋医学は、体の異常の気配(未病状態)で治療を開始する。顔色、手相、舌、脈を診て判断する。東洋医学は、体が未病状態で治療を出来る。

 

言葉との出会い

 今回、出会った言葉で一番印象に残ったのは「病気のふりをしてはだめ」である。博子先生がある患者に「いつまで、病気のふりをしているの?」と言ったという。それが妙に納得して腑に落ちた。

 

 病気が治っているのに、弱いふりをして「私は病気だ」とお情けちょうだいで言うと、本当に病気の「気」を大きく受けて、病気が治らない。嘘でもいいから「元気だ」というべきだ。言霊、言気の問題だ。言葉を発して、一番多く影響を受けるのは、自分自身だ。それが言気で、言霊である。だから否定的な言葉を吐いてはならない。人に言葉を吐いても、その言葉を一番最初に一番大きく影響を受けるのは自分自身である。

 

 

 

2024-09-13  久志能幾研究所通信 2941号  小田泰仙

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