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2024年7月24日 (水)

親に対する最大の供養は、自分が幸せである報告

 

 親に対する最大の供養とは自分が幸せになること。幸せになれれば、親への感謝として、自然と位牌やお墓に手を合わせて法事をするだろう。

 幸せとは、健康で暮らすこと。健康とは心と体の健やかさをいう。

 

 供養や法要をしなくても、親やご先祖が化けて出ることはない。親やご先祖は子や子孫の幸せを熱望している。その願いが届かないから、相手を病気にしたり、怪我をさせたりする。霊は物理的力が出せないので、そうやって早く気が付いて欲しいと、細工をする。

 

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 2019年10月10日 馬場恵峰先生の書道教室にて 

 私は、2019年2月にガンの手術をした。容態が落ち着いたこの年の10月10日、上記色紙をお見舞いして頂いた方がたにお礼の色紙として配るため、馬場恵峰先生に20枚揮毫をしてもらった。

 馬場恵峰先生も、94歳まで、現役で頑張って生きられた。これを揮毫された1年2か月後、恵峰先生は2021年1月1日、安らかに永眠された。

 私の師への恩返しは、健康で長生きすることだ。

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親の願い

 親は生きている時は、自分の欲を抑え、我慢して、子供のために働いてくれた。子供の幸せを願っての行為だ。

 日本人として恥ずかしくない人間になることが、親への最大の供養である。いくら幸せでも、他人を不幸にしてのし上がった地位で幸せでは、親は喜ぶまい。特攻で銃後の老いた親、新妻、我が子を思って戦死された親もいるだろう。戦地で飢えのため戦死された親もいるだろう。戦死された人であっても、子孫が幸せで、恥ずかしくない人間として、病気をせず幸せに成長してくれるのが最大の望みであったはず。自分がそうなるのが、最大の供養である。

 

最悪の親不孝

 それを食欲に負けて、飽食を繰り返し、病気になって、医療費として税金をたんまりと使い、挙句にベッドに点滴の管や胃瘻の管で繋がれ、死にたくても死ねない状態で、無為な延命治療で生き永らえるのでは、親不孝の極みである。

 御先祖もそんな人間のために、命を捧げたのではない。私の家系でも、2名がビルマ、シベリアで戦死をしている。もうすぐ、8月15日の終戦記念日で、お盆である。

 

 病院で治療を受けると、健康保険は医療費の3割負担だから、7割は健康な人の税金分のカネを(勝手に)使っていることになる。国土を強化すべきカネや福祉予算を医療費に無駄に使えば、国がその分、貧しくなる。50年前の医療費総額は7兆円ほどであった。現在は37兆円を超えている。

 

 病気の主原因である食を正すのも、ご先祖供養である。

 自分の体を大事にする。まずそこからご先祖供養を考えたい。

 

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2024-07-25  久志能幾研究所通信 2888号  小田泰仙

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