いい日旅立ち、否断捨離、睡眠、永眠、遺品整理
私は還暦を過ぎても、断捨離はせず、モノを買いまくっている。とはいえ、年金生活者の財力と持ち家の広さと体力には限界があるので、買っても多寡がしれている。私は分相応で買っている。
いいものを買って、長く大事に使う、が私の方針である。車は1999年に購入し、現在、24歳で現役である。スピーカYAMAHA NS1000 Mは現在、メインのスピーカではないが、まだ現役である。買ってから48年が経った。40年前に買ったラックスのアンプも修理をして現役である。ラックス社は30年経っても、そのアンプを直してくれた。
長く大事に使える品を選別していると、そんなに多くの品は買えない。買いまくるといっても、それでバランスが取れている。
私は思い出の品は捨てずに、60年間でも保存している。写真記録は、100年前の祖父祖母のアルバムから今までの分を保存している。思い出の品こそ、人生である。今自分が生きているのは、ご先祖の存在があったためだ。その記憶が無くなったら、生きている意味がない。思い出の品に人生の記憶が籠っている。
だから断捨離は我が家ではやっていない。両親も断捨離などしなかったから、昔の資料が残っていた。よくぞ、残してくれたと感謝である。昔気質の両親は、モノを捨てずに溜め込み過ぎであった。両親は、モノがない時代を生きてきたのだ。今のモノが溢れた状況が異常である。そのお陰で家系図を1734年没のご先祖までさかのぼれて、作成できた。
2年前に祖父の100回忌を執り行った。今年は祖母の50回忌である。私は法事をきちんと執り行っている。法事を出来るだけ、幸せである。それはその齢まで生かされていることだ。死んでいれば、それは執り行えない。
断捨離の人生とは、切ない儚い人生だ。思い出は、品物に形を変えて「思い出のお墓」として残っている。その思い出が自分の人生を創ってきた。そのお墓を捨てることは、はか無い、である。断捨離を自慢するミニマリストを観相学でみると、人間として下品な趣がある。
動物と人間の違い
動物が巣をつくり縄張りを確保すると、そのエリア中にトイレ(巣の外の決まった場所)と寝床と保存食置き場を確保する。人間様は人生檻の自宅を建てると、トイレ、ベッド、そして生存には必要ない思い出の品を家中に保管する。人はパンだけで生きているわけではない。それが畜生と人間の差である。その差の象徴の想い出の品を断捨離するのは、畜生の浅ましさである。思い出こそ人生である。
人生の伴侶が認知症になり、一緒に過ごした思い出を全て失ってしまったら、それは妻の格好はしていても、妻とは思えないだろう。一緒に居ても楽しくないだろう。それでは、彼女と楽しい昔話が出来なくなる。それと同じである。思い出を共有してこそ、長年連れ添った妻である。思い出が身近にあってこそ、吾が人生である。放浪者のように、何ももたずに生活するのは、社会性のある人間ではない。人間とは人と人との間で共生できる生き物だ。行動をすれば何らかの足跡が残る。その証しが思い出品である。
上図は、50年分のスクラップ記事情報を納めた本箱。
今までの50年分で62個のボックスファイルに整理した。それを日々見直している。そうすると当時のことが思い出されて、「よくやったね、頑張ったね」と自分で自分を褒めて、いつ死んでもいい気持ちになる。
一つのボックスファイルは約10kgである。62個で、総重量620kgであり、思い出は重いで...?
6S
6S(整理・整頓・清掃・清潔・躾・睡眠)を徹底する。
6Sであれば、断捨離なしでも、家がゴミ屋敷になることはない。
必要なものがすぐ出せるようにすることは、整理整頓である。
不要なものやゴミを捨て、住む家の中を清掃して清潔にする。
ご先祖の恩に報いる生活をする。そういう躾が人生を豊かにする。
それは断捨離とは違う。今の断捨離ブームでは、人生で大事な思い出まで捨てている。
睡眠は脳内の老廃物の整理整頓清掃清潔である。十分な睡眠が健康維持に必要である。睡眠不足が認知症を招く。
毎日の睡眠とは永眠の事前練習である。その日に、やることをやり切れば、後は安らかに眠ることが出来る。人生の使命を果たせば、安らかに永眠できる。
よく働いた一日は、安らかな眠りを賜う。
よく働いた一生は、安らかな永眠を賜う。 ゲーテ
死は睡眠に似ている。眠りにつき、人生でただ一度だけ目の覚めない時がある。それが永眠である。そのままいつもの眠りについて、朝になったら死んでいたというのが、理想である。
理想の死にかた
『幸福論』を書いたカール・ヒルティは77歳まで現役で働いていた。1909年没だから、現在なら100歳に近い年齢である。彼は、朝、いつものように散歩に出かけ、帰ってきたら、疲れたと言って横になり、そのまま永眠した。
やるべきことをやっていれば、何時旅立っても後悔はない。その日がいい日で、旅立ちの日である。やるべきことをやらず、やり残すから、後悔が残る。
私は今はやることが多すぎ、忙しすぎて、死んでいる暇がない。死ぬんだって、その準備に時間がかかる。死は人生で最大で最後のイベントなのだ。
お迎えはカンバン方式(トヨタ生産システム)
カンバン方式とは、後工程が必要な品数を前工程に要求して、その分を生産するシステムである。お迎えが来たということは、あの世が、貴方を必要としているのだ。お迎えが来たら、すぐ行かねばあの世の管理者が困ることになる。あの世だって、閻魔様の裁判スケジュールがある。閻魔様も忙しのだ。三途の川の河の渡し舟だって、運行スケジュールがある。あの世でも生産計画(死亡計画?)があるのだ。だから、お迎えがきたら、何時死んでいいように、下準備をしておかねばならない。
遺品整理
遺品は遺品整理屋に頼めば、10万円~20万円ほどでやってくれる。ある人の遺品整理の費用見積もりを取ったら、10万円だった。その金額を比較すると、断捨離する時間が勿体ない。時間は命である。その分の時間を有意義に使おう。20万円程の金を残して、モノを買いまくればよいのだ。
カネはあの世に持って行けない。何時死んでもいいように、カネを使いまくろう。使わないと悔いが残る。高齢者がカネを使えば、日本経済が復活する。それが高齢者の世間への御恩返しだ。カネを持っている高齢者が金を使わないのが問題なのだ。カネを子孫に残せば、子孫が堕落する。
2023-10-07 久志能幾研究所通信 2756号 小田泰仙
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