男の悲甲斐性 飲む、ウツ、買う
飲むとは酒を飲むである。酒は少量でも発がん物質である。酒を飲めば、そのアルコールの分解で、毒物を分解処理するのと同じプロセスを肝臓が行う。肝臓の処理にも限界がある。もともと日本人という人種は、アルコールの処理が欧米人より弱い。酒に適量もないし、酒は百薬の長でもない。
酒を飲み、頭を酩酊状態にしてまで、人生や仕事のことを語り合う必要は無い。頭が酩酊状態では、同じ話を何度も繰り返しグダグダ言うのがオチである。
酒を飲まねば仲良くなれないなら、仲良くなどしなくてもよい。私はそんな縁は、ご縁がなかったのだと達観する。
私は5年程前に完全禁酒とした。
2つ目の悲甲斐性の「ウツ」とは、鬱にならない、である。「鬱」とは葉が生い茂り過ぎている状態を表す漢字である。
甲骨文字・金文は「林」+「勹」(かがんだ人)+「大」(立った人)、人が生い茂った草木の中に隠れる様子を象る。 「茂る」を意味する漢語{鬱 /*ʔut/}を表す字。 「爵」の略体を加えて「鬱」となる。
「鬱」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)
https://okjiten.jp/kanji2081.html
鬱の意味は、その持てる能力以上に、負荷がかかった状態である。鬱病とは、脳力以上に負荷がかかり過ぎ、体と頭が悲鳴を上げている状態である。治療方法は単純明快で、負荷を減らせばよいだけだ。
根が張り、健やか成長して大木になってから、葉が生い茂るのはよい。しかし成長もしていない状態で、葉だけ生い茂っても、末路は枯れるだけだ。
人が鬱病になると、現代医学業界は治療と称して、薬漬けにする。鬱病患者はますます治らなくなる。要は医師の金儲けである。その方が儲かるから、医師にとっては、患者のことは知ったことではない。
私の鬱病
私は管理部の管理職として、うつ病の部下を多く預かった。しかしその部下を医師に任せても、守秘義務とかで、その病状の情報は全く私には入ってこない。医師のやりたい放題である。だから私は、鬱病関係の本を数十冊集めて勉強した。
その本から得た結論は、「鬱病になったら、医者にかからず、仕事の負荷を減らし、太陽を浴び、規則正しい生活で過ごせば、自然と治る」である。
私自身が会社時代に鬱病寸前になった時、私は自分で治療方法を調べて、自分で治した。その時、会社の保健婦は「小田さんは軽い鬱状態だから、薬を飲めばすぐよくなりますよ」だった。
鬱病患者は、真面目な人ほどかかる。かのチャーチルも梅原勝彦社長((株)エーワン精密)も鬱病になった。
ベンツに乗る、二号さんを持つ、別荘を持つ
ベンツに乗ることも財布にとっては鬱病である。自身の財力以上にベンツはカネを使うから、家の財政が破綻する。それは家庭会計の鬱である。
二号さんを持つことも、人間関係の鬱病である。自分が複数の女性を満足させる財力、体力、世間体能力以上の負荷を人生にかけるから、自然に破綻する。また世の男性のひがみを受けて、社会的に抹殺させられる。自分にそれだけの甲斐があればよい。しかし、今の税制では、日本の男性の99.9%はそれは不可能である。
二号さんに乗ることは、楽しいが、乗っていない時の維持費が大変なのだ。それはベンツを所有することと同じである。
買う
モノを買うとは、日々日銭が出ていくことだ。モノを買えば、何時かは壊れて買い直さねばならぬ。モノも生老病死である。モノを買えば、毎年、そのモノの減価償却費を積み立てねばならぬ。だからモノを買うと、その分の減価償却が増えていく。300万円の車を買えば、10年後には300万円の金がまた必要となる。それは冷蔵庫でもエアコンでも同じである。
そのモノが自分の一部となって、自分を助けてくれるかどうかを、熟慮して買うべきだ。人は往々に衝動買いをしてしまうのだ。
大垣市の石田仁市長は、2021年に県下一豪華な新市庁舎を建てたので、その維持費と減価償却費が必要となり、「ゴミが増えた」と大嘘を言って、ごみ袋有料化をごり押しした。
2023-04-20 久志能幾研究所通信 2672号 小田泰仙
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