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2023年3月 6日 (月)

展示会案内 Sagan 柴田節郎陶展

 3月5日~3月28日、岐阜市川原町 Gallery Saganで柴田節郎陶展が開催されている。陶芸作家の柴田節郎氏は、山路徹先生と同年の生まれで、60年来の友人である。その関係で私もその展示のお手伝いに駆り出された。

 

 開催日の前夜(3月4日)、唐突に私が展示会のチラシを作る羽目になり、大慌てで深夜までかかり紹介チラシを仕上げた。なんとか納期に間に合ってほっとした。チラシを作ることは何ら契約でも義理でもないが、作る羽目になった。それもご縁である。

 

 柴田節郎氏は、2000年の国際トリエンナーレカップ展で入選以来、海外で有名になっている。その作品は、多くの海外の美術館に所蔵もされている。

 今回の展示会は、氏が戦後に体験してきてことを仕上げた作品と現代の作品のコラボレーションである。氏が過去に思いを込めて形にした作品群である。

 案内ハガキの陶器のオブジェは、戦後のウサギ小屋の象徴である。小さなウサギ小屋が黒いボルトで結合されている。氏の戦後の思い出は、黒いボルトで象徴された。

 会場の入り口に置かれた黒いオブジェは、山林火災で残った木の象徴で、その黒い木から新し芽が噴き出している姿を表している。

 

 

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柴田節郎 作家略歴

1940   岐阜県多治見市生まれ

1956   西寺鉄舟氏に油絵を師事

1957   県立多治見工業高等学校図案科卒

    土岐市立陶磁器試験場入所 日根野作三氏に15年間陶芸を学ぶ

1962   全国陶磁器デザインコンペティション通産局長賞

   日本陶磁器意匠センター賞

1965   2人展[前衛オブジェ](多治見’73)

   「美濃陶芸界で初めてのオブジェ展を開催」

    第1回美濃陶芸協会記者クラブ賞

    その後美濃陶芸協会脱会「親分子分の世界はいらない」

1966   陶磁器試験場退職、河島工房(京都)にて研修

1969   多治見市に陶房を開窯

1970   丸栄個展(名古屋’71)

1973   2人展[前衛オブジェ](名古屋・安里SIX)

1974   フイエンツア国際陶芸交流展出品(イタリア’82)

1980   MINOバトルロイヤル野外展(多治見)

1981   MINO展(多治見・土岐・金沢・福岡・粛都・名古屋)

1982   中日展立体部門出品(’83・’84)

1988   MINO女性陶芸家交流展(多治見)

1989   MINO五人展[陶・鉄・石](’92・’95・’98)

1990   土と炎と俊太郎と(多治見)

    個展(イケダヤ画廊東京’91)

1992   国際陶磁器フェスティバル美濃出展(多治見)

1993   絵・陶 二人展(多治見・稲沢・刈谷’94・’95)

    胸の中を覗いて見たい人たち展[炎舞](名古屋)

1995  個展(CAST IRON GALLERY ニューヨーク)

    個展(ギャラリーうつわ多治見’96)

1996   現代アート“ニューヨーグ’国際カケジク展INタジミ

    「前の年の米国個展の遺産」ロンドン展(イギリス)

1997   現代アート“ざノこんりゅう”展(土岐’97・多治見’99)

   ユーモア陶彫展[招待コンペ優秀貰](土岐)



 

2023-03-06  久志能幾研究所通信 2632  小田泰仙

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