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2023年2月 7日 (火)

山路徹先生と「袖すり会うた縁」

 

 山路徹先生とのご縁は、2011年、大垣のデパート・ヤナゲンで見つけた素敵なテーブルを入手した縁が始まりである。そのテーブルは山路徹先生が製作した芸術的な作品であった。

 

 私は2010年に定年退職して、大垣の実家に戻った。そこから築40年の日本家屋のリフォーム工事を始めた。そうしているうち、ヤナゲン2Fの服販売店で素敵なテーブルを見付けた。それはそのお店が営業用で接客用に使っていた。

 お店を訪れる客は、このテーブルを欲しいと思う人が多くいたのだが、既に家具が一杯入った家には置ける空間がないと諦めていたという。

 

古いものを捨てる

 幸い、私の家はリフォームをして古い家具の多くを捨てた後で、家中が空っぽの状態である。それもご縁である。リフォームをしなければ、先生とのご縁もなかった。新しいご縁を掴むには、古いものを捨てなければならない。何時までもしがらみを掴んでいると、新しいご縁はやってこない。

 新しい世界で生きていくためには、過去の遺産を捨ててなければ、真のスタートができない。エリートを呼ばれる種族が世間で成功できないのは、過去の栄光を捨てられないだ。だから思いっ切った改革が出来ない。

 

 それで新しいテーブルを買う交渉をした。聞けば、販売可能という。店頭で使っていたテーブルは高さ70センチの椅子用である。それを座敷用に低い脚に作り直してもらった。

 

出会い

 その時、初めて山路徹先生とお会いした。聞けば先生は、私の出身高校で美術を担当されておられた。私の高校時代と時期がずれており、直接の恩師ではないが、ご縁のある方であった。それから先生とお付き合いが始まった。

 それから先生に多くの特注の家具を作ってもらい、いつの間にか32点の家具が揃った。机やテーブルだけでも15点もある。またその半数近くは、好意で提供して頂いた。全て材料はトチの木や奈良樫の木である。

 

ご縁を掴む能力

 今、過去を振り返ると、良きご縁に出会ったと思う。ご縁をご縁として大事にするのも、一つの能力だと思う。またそのご縁を発見するのも能力である。今まで世界の80館以上の美術館を回り、鑑賞眼を養ってきた甲斐がある。

 2010年、2011年は、松本明慶大仏師ともご縁が出来た時期であった。松本明慶先生作の仏像を置く台も、山路徹先生に造ってもらった。2010年に会社人生を捨てて、新しい人生が始まった。

 

「柳生一族の家訓」

 小才は、縁に出会って縁に気付かず。

 中才は、縁に気付いて縁を生かさず。

 大才は、袖すり会うた縁をも生かす。 

 

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 リフォーム前の居間の状態

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 リフォーム後の居間

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 デパートの服販売店で商談用として使われていた。

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 テーブル搬入前の状態

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 テーブル搬入後

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   2011年 今より12歳も若き日の山路徹先生

 

 

2023-02-07  久志能幾研究所通信 2608  小田泰仙

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