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2023年1月15日 (日)

縁起 「この世で縁がない人」との付き合い方

 

 性善説、性悪説を唱えるのは儒教である。「全てのことは縁に始る」との縁起説は仏教である。これは恵峰先生の三回忌法要で圓鏡寺の住職様が、説法でこの教えを説かれた。

 私は、昨年12月24日に九州での恵峰先生の三回忌、昨日(1月14日)に東京での親戚の三回忌に参列して縁起説を意識した。恵峰先生は、儒教の「性善説、性悪説」の教えを否定された。性悪説に従えば、悪人がいくら勉学、修行をしても、善人にはなれないことになるからだ。

 

 仏教の縁起説では、人生は縁の出会いで始まる。良い出会いが、良い縁を招く。だから良き出会いを求めばならぬ。また出会いを良いものにする努力をしなければならない。

 その出会いは全て心が決める。心とはすなわち、その人の魂である。魂の向上を目指さないと、人生は豊かにならない。類は類を呼ぶからだ。

 

4k8a93721s 馬場恵峰書

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縁の多様性

 世間を騒がしているKK問題もやんごとなきお家の騒動も、全て悪縁、穢れた縁との付き合いから始まっている。縁起である。

 安陪さんを殺めた山上徹也容疑者も、その母が間違った教えの縁に関わったのが始まりである。間違った縁につながると、間違った思想に洗脳されてしまう。それから、いくら正気に戻そうとしても無駄である。

 

縁なきご縁

 親戚関係でも、相手がある考えに思い込むと(洗脳状態)、いくら当方が正論を言っても、理解しようとさえしない。だから話し合いが無駄である。それは山上徹也被告の母を説得して1億円のお布施を止めさせるようなものである。その人とは「この世では縁がない」という縁でつながっている。

 現在、私が分かり合えていない親戚たちは80歳以上である。もう時間が無く、生きている間に分かり合える縁もなかろう。それが、「この世では縁がない」という縁である。つい最近、その中の2名が亡くなった。私と分かり合えないままに世を去ったのだ。歳月という名の「佛様のお裁き」である。

 

 515事件では、犬養毅首相が「話せば分かる」というのに、反乱軍は「問答無用」と発砲した。此の世では縁がなかった。その極端な例の惨劇である。

 

 もしお釈迦様が生きておられて、習近平と話し合う機会があっても、ご縁が無いから、分かり合えないであろう。我々が思い違いの人との分かり合いが無理なのと、同じである。

 

全方位外交の愚

 日本には1億2千万人の人間がいる。全能でない凡人の我々は、その全てに人間と縁を結べるわけではない。限られた付き合いの中で、その縁を結んでも、「縁がない人」と無理に縁を結ぼうとするから軋轢が起きる。そういう縁には、近づかず、そっと縁を遠ざけるのが、賢い人の行動である。

 お釈迦様は、全ての人と仲良くせよとは仰せでない。お釈迦様でさえも、縁なき衆生を「縁なき衆生は度し難し」と突き放されている。お釈迦様ではない凡人の我々は、全ての人と平等に付き合うなど無理なのだ。

 第二次世界大戦中のドイツでヒトラーから迫害を受けたユダヤ人で、命を守れたのはドイツから逃げ出した人達だけであった。狂人のヒトラーと個人で戦うのは、狂気の沙汰なのだ。ライオンが襲ってきたら、ウサギのような我々は逃げるしかない。

 

 日本政府も狂国や敵国と、全方位友好外交をする必要はない。それなのに、ノー天気外交で、媚中派の岸田政権は、敵国、味方国の区別なく全方位友好外交を強行している。財界の太鼓持ちのマスコミに踊らされている現状は、痴呆症外交である。次の選挙で自民党にお灸を据えないと、日本国家が危なくなる。

 

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2023-01-15  久志能幾研究所通信 2589  小田泰仙

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