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2022年12月30日 (金)

自惚れは「佛さまのお裁き」を防ぐ

 

 自惚れが自分を成長させる。自惚れとは自己満足である。自分が一番だと自惚れれば、更に技を磨くから成長する。自分はダメだと卑下していては、絶対に成長しない。

 ファッションショーでモデルは自分が一番美しいとうぬぼれ、胸を張って歩くから、その美しさが映える。「私なんか」と思えば、努力もできず、持てる魅力も半減である。それでは成長できない。

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 大垣市壽年式-ファッションショー 平野学園出演 2018年4月17日

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佛さまのお裁き

 ところが多くの人は、人が努力して結果を出している才能をけなし、悪口ばかりを言う。そういう人は、人の荒探しばかりをして、自分では何も努力をせず一生を終えるのがオチである。人をけなす時間があれば、自分を磨くべきなのに、そういう人は何もしない。そして無為に人生を過ごし、老いて、死の床で自分が何も為してこなかったことを悟る。そして「オレの人生は何だったんだ」と絶望して死んでいく。それが「佛さまのお裁き」なのだ。

 

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    知己塾  2020年1月9日
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良薬は口に苦し 

 うぬぼれなければならないが、うぬぼれてしまってはダメだ。うぬぼれて更に精進して己を磨いてこそ自惚れである。うぬぼれを批判されてこそ、何くそと頑張るから、成長する。批判こそ、「良薬口に苦し」である。人とは自分より少しだけ優れたものをけなすのが性である。それを感謝して受け止めよう。

 

佛の教え

 佛さまの教えを守る。それが「法を信じ 法に生かされて 法を学ぶ」という生き方である。仏教で三寶とは、佛、法、僧をいう。佛の存在、佛の説く法、それを実践する僧の3つである。自分は修行中の僧なのだ。己を一修行僧として精進を続けるのが仏様の教えを守ることだ。それを「一時一心一念道」という。

 馬場恵峰先生の雅号は、三寶斎恵峰である。原田観峰師から贈られた雅号である。

 新興宗教には法が無い。あるのは、カネという道具の力を信じ、より多く寄進すれば極楽に行けると説く道具論だけである。それはカネという道具に振り回される人生だ。カネは法ではない。カネは単なるこの世の利用料という道具である。

 私は馬場恵峰先生の知己塾ビデオを見直して、この一年を振り返り、来年も「一事一心一念道」を更に追求しようと決意した。

 本内容は2020年1月9日の知己塾を振り返り、作成した。

  

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 理念と経営カレンダーより(株式会社コスモ教育出版 2013年)
  2020年1月9日 馬場恵峰先生の教室で撮影

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2022-12-29  久志能幾研究所通信 2577  小田泰仙

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