死への準備
下記は私が前職で、2005年頃に新入社員と中堅社員に「修身」の講座で話した内容である。それからの人生で、私が得た新たな知見を追加する。
定年と言う死
30年後、新入社員の皆さんは必然的に定年という「会社生活」の「死」を迎える。
トヨタでは昇格時、別の部署に異動しなくてはならない。それはその部署での「死」である。次の部署ではゼロからの再スタートである。それでやって行ける能力があるかを、会社は試している。
もっと大きな死が定年である。
老後の終わり(定年・死)
その前提で、人事異動で次の世界(定年後の20年)で生きていくために蓄える財産は何か?
その時までに、貴方はどんな資産作り(財産目録)をするのか?
実際に会社を離れて生きていくために、財産(金ではなく)は何か?
何の報酬を当てに生きていくのか?
人生のバランスシート
有形の資産 お金、株、土地・家、保険、美術品、モノ
価値は不安定
モノは減価償却でどんどん価値が下がる
無形の資産 肩書、地位
退職すれば価値はゼロ
経験・能力・資格、広い交遊関係、信用
健康、自分というブランド、自由時間
無形の資産が次の資産を生む
生涯現役
その一つの理想回答が生涯現役である。生涯現役であれば、老後という期間は存在しない。今年の1月1日に亡くなられた馬場恵峰先生は、その模範解答を背中で示されて旅立たれた。理想は、福沢諭吉翁が言うように「一生涯を貫く仕事を持つことである」。
「生きるという人生」があるわけではない。「仕事という人生」や「余生と言う人生」があるわけではない。人生で一番大事な時期、体力も充実している時期で、1日の大半の時間を過ごす「仕事」という時間を有意義にすごさないと、人生そのものが無に帰する。どんなモノにも終りは有る。だからこそその死を意識して仕事を全うせよ。
慈愛に満ちた眼
恵峰先生は、今は雲の上から観音様のように慈愛に満ちた眼で、お弟子さんたちを見守っている。
師の戒名は「慈眼院孤雲禅筆居士」である。「慈眼」とは、観音経に出てくる言葉である。「禅」という漢字は、お寺さんに関係した人の贈られる尊い漢字である。孤雲とは、日本書道界とは隔別して、書道の神髄を求めた禅師であることを表している。雲の上からお弟子さんたちを見守っているとの意味である。
馬場恵峰師は、今の書道界が金で、段や師範格や書道展の入選が決まることを嘆かれて、拝金主義に染まった日本の書道界とは距離を置いておられた。
死後の評価
死んだ後に評価されるのは、どれだけ集めたかではなく、どれだけ与えたかである。
大金を死後に残しても、ウジみたいに金に群がる輩が発生する。下手に金を残しても、遺族間で醜い財産争いが発生するし、税金でも吸い取られて、役人どもが無駄遣いをしてしまう。そうならないような財産の残し方が望ましい。
その時に、何のために生きてきたかが問われる。
馬場恵峰書
2021-12-30 久志能幾研究所通信 2254号 小田泰仙
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