輸血2回で血の気が戻る。戒名の朱塗り
2年前に墓誌に私の戒名を彫り、それに朱で色を付けた(まだ生きているから)。2年経って祖父の百回忌の折、その色落ち発見した。それで戒名の字に、朱で石屋さんに塗り直していただいた。今回は色落ちを少しでも長く持たせるため2度塗りをしたという。それを今日(2021年10月21日)、確認のため菩提寺に出かけた。
そこで命の有限性と使命感に思いが至った。
再塗装
墓誌の再塗装で、鮮やかな朱色に戒名が復活して(血の気が戻り)、やれやれである。生あるもの何時かは死(色が落ちる)である。何事も所行無常である。それを墓誌から教えてもらった。死んだ色(ペンキ)なら、半永久的だが、それでは後日、朱色を落せない。だから数年で色落ちすることが明白でも、朱の墨汁を使ってもらった。それを繰り返すことが生きている証である。墓参りごとにそれを確認すればよい。昨年はコロナ禍でそれが叶わなかったために、起きた出来事である。しかしそれを喜ばねばならぬ。死んでしまえば、それが叶わぬ。
我々も必ず死ぬことが明白なのに、毎日、同じことを繰り返して生きている。それを喜ぶべきなのだ。
朱が落ちた状態 2021年10月12日 撮影
再塗装後 2021年10月21日 撮影
ホテル消滅
菩提寺からの帰り路で、駅前にあったはずのビジネスホテル・ディークが、跡形もなく消えているのを発見して仰天した。このホテルは過去何度か利用したことがある。通りかかった人に聞けば、数か月前にそのホテルは経営不振で、店を廃業したとか。今は建屋が取り壊されて跡形もなく、更地になっていた。経営不振もコロナ禍が大きく影響したのだと推定される。墓誌の色といい、ホテルの建屋といい、所行無常を痛感した。生あるもの何時かは死である。
つくづくと、どんな命も無常であること思い知った。自分の命も大事に使わねば、何時かは無に帰してしまう。残り少ないと思われる命を、最大限に使わねばとの思いを新たにした。
以前はこの場所に6階建てのホテルが存在した。 2021年10月21日撮影
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使命
「使命」とは、命を使うことだ。頂いた自分の命を使って、人生で何をするかが、人に課せられた最大の課題である。毎日、同じことの繰り返しであっても、少しでも世のためになることを為し、無為に過ごすことのないように、と自分を戒めた。戒名とは、自分に対する戒めの名である。生前に戒名を頂く意味を改めて感じた。
書は馬場恵峰先生、文責は著者
2021-10-21 久志能幾研究所通信 2186 小田泰仙
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