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2021年3月25日 (木)

ゆでガエル洗脳病をぶっ飛ばせ(6/11)青春

「お役人病ウイルス」をぶっ飛ばせ(その3)

 この失敗の記録は、大垣市行政の危機管理の失敗記録として後世に残すための記す。間違いを原因と再発防止の記録として残さないと、悪夢が再発する。

 

「ヒラメ病」をぶっ飛ばせ

 独裁的な市長が20年間も無能無策で君臨すると、部下はヒラメにならざるを得ない。市役所の職員にも家庭があり、子供がいる。それを上司に逆らっては左遷されてしまう。だから「お役人病ウイルス」が蔓延した。その病状は、目が上目つかいになり、上しか見なくなる。市民を見ることは無くなる。

 長期独裁政治からは、都市衰退病が生まれた。それで大垣駅前商店街が消滅した。小川敏市政20年間で駅前商店街の60%のお店が消滅して、現在残っているのはたった20%である。それも風前の灯火である。この3月末には、郭町の吉田肉店が閉店である。

 大垣市民の不動産財産額が半分以下に激減した。結果として大垣市民は貧乏になった。私も貧乏になった。これが刈谷市なら、現在の2倍以上の不動産財産を持ててたことになったのに。全ては都市の支配者の責任である。

 大垣市の税金も高くなった。さらに市民サービスが低下して、市民のみんな不幸になった。

 大垣の経済成長率がマイナス1%で、大垣市民が貧乏になった。世界経済の劣等生の日本政府でも、プラス1%の成長率なのに、だ。

 未来の背負う大垣市の子供の教育が悲惨になった。

 ヒラメの職員では、危機管理もできず、市民の命が危険に晒される。

 

「万歳突撃、猪突猛進病」をぶっ飛ばせ

 日本政府は30年間、ずっと緊縮財政とほざいて、4回も税を上げ、日本経済を崩壊させた。「ゴルゴ13」が愛読書と公言するような元総理経験者で80歳の現財務大臣が経済の舵を取るようでは、お先真っ暗だ。日本のトップの痴性が露見である。

 大垣市の小川敏は、20年間、ずっと節約、節約と言いながら、自分だけは無駄遣いをして大垣経済を崩壊させた。市制百周年記念行事で3億5千万円も散財して、その会計報告さえ秘密条令を盾に公開しない。それでどういう付加価値を大垣市にもたらしたのか。その翌年も大垣市の公示地価は下落である。この行事の失敗が明白である。

 小川敏は県下一豪華な新市庁舎を建てた。市民一人当たりの負担金は県下一である。大垣市を賢政で発展させたのなら許せるが、愚政で衰退させたのだから許せない。

 小川敏は、小倉前市長の放漫投資を抑制したのは良いが、未来への投資を削減しすぎである。それを吝嗇という。過ぎたるは猶及ばざるが如し。それは両親からの洗脳であったようだ。

 

「知識偏重学閥病」「老害病」をぶっ飛ばせ

 50年前の記憶力テストの成績だけが良かった人が、行政の指導者では、都市は衰退が必至である。50年前、頭脳明晰であった人が、70歳になって頭脳明晰であるわけがない。普通の人は、ボケが始る。日本の指導者層は、高齢者ばかりで、老害の影響が大きい。日本の指導層の若さが失われて、日本の活力が失われた。

 日本政府の森喜朗元オリンピック会長(1937年生まれ、82歳)、麻生大臣(1940年生まれ、80歳)、二階俊博幹事長(1939年生まれ、82歳)、菅総理(1948年生まれ、72歳)が政治を牛耳っていれば、日本の活力が失われて同然である。

 大垣市の小川敏は1950年生まれ、70歳である。これがその老害での事例である。

 

 柔軟な発想の福岡市の高島宗一郎市長(1974年生まれ、46歳)に率いられた福岡市は、日本一の成長を遂げている。福岡市は起業も第一位で活発だし、子育て体制も素晴らしく、人口増加率も第一位である。

 大垣市とは大違いだ。大垣で成長したのは、御用新聞のフェイクニュースだけである。大垣市は、この20年間で大垣市民の財産や付加価値が半分以下に激減した。

 

 小川敏は20年間、無能無策政治の独裁政治で70歳まで、大垣に君臨するから、ヒラメ軍団が繁殖し、腐敗が横行する。長期政権で腐敗しなかった歴史はない。リーダには若く、燃えるエネルギーがないとダメである。リーダが老いて疲れていては、大垣市行政の方向付けの行動が鈍る。

 年老いても心が青春でないとダメである。IT化と掛け声だけで、格好だけのシステム導入をすれば、税金の無駄遣いだ。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。それが自然界である。

 小川敏の辞める弁が「心身ともに疲れた」では、大垣市が、老害で衰退したことの証しである。

 心が青春でない政治家は去れ。

 

青春の心

 下記の詩「青春」はよい詩だ。夢を与えてくれる。私はこの詩を座右銘にしている。かのケンタッキーフライドチキンのおじさんも、あの事業を50歳の半ばから始めたことを思うと、肉体的年齢で青年や老人の区別などで頓着していられまい。私は死ぬまで青春として生きていきたい。

 この詩をマッカーサーは東京のGHQの執務室に掲げていたという。松下幸之助翁もこの詩をアレンジして、自分の座右銘にしていた。この詩を愛読した世の著名人は多い。かのマッカーサー司令官も解任されて日本からの帰国後、議会で「老兵は死なず。ただ消えそくのみ・・ 」と演説したが、この詩が頭にあれはもっと違った表現をしたと思うのであるが。なんと元気のない表現であろうかと残念に思う。私は彼が軍人としての役目を終え、次の自分の青春として役目を模索していたと私は信じている。そうでなければ、この演説は、「青春」を座右銘にしてきた人の言葉ではない。

 青春を続けるためには、自分への設備投資が不可欠である。個人でも企業でも、未来への設備投資なくして発展はない。私は、自身への投資を疎かにしたことはないと自負できる。

 大垣市がここまで没落したのは、小川敏に「青春の心」がなかったからだ。最初から、エリート意識で、保守的な老人の心境で政治に取り組んでから、青春の心は不要であった。だから大垣市は没落した。小川敏は後ろ向きの節約節約ばかりで、未来への投資を削減したためだ。よりによって大垣の未来を創ってれる子供たちへの教育費を、小川敏は最低レベルまで落とした。情けない。

 

青春              サムエル・ウルマン

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。

 

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

 

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。

 

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

 

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。

  宇野収・作山宗久著 『青春』より(産業能率大学出版部刊)

          1994.05.23一部修正追記 小田

 

 

2021-03-25   久志能幾研究所通信 1961 小田泰仙

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