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2021年1月18日 (月)

人生の「テストドライバー」を目指す

 

 レーシングドライバー(レーサー)とは、決められたコースを最速で走り競争相手に勝つことが求められる。レースでは、他車と駆け引きしながら、走り勝つことが求められる。要は勝負の世界のドライバーである。

 それに対してテストドライバー(試験車評価者)は、試験する車の特性を正確に把握して、正しく評価することが求められる。テストドライバーは他車と競争して、速く走ることではない。その車の特性を知りつくし、最高の性能を引き出すことが仕事である。

 

テストドライバー

 テストドライバーは、持てる五感を全て使い、前の試作部品と今回の改善部品の差を確認できることが求められる。それを数値として評価する。それが測定データで証明されるとシメシメである。

 テストドライバーはシフトダウンをしても、クラッチの合わせで車の速度を変えない技量が求められる。路面の状況を正確に把握して、スピンしてもそれを制御する技量が求められる。

 上級のテストドライバーの訓練では、一日の訓練をすると、タイヤがつるつるになる。一日の消耗タイヤ費だけで20万円である。

 試験した開発部品に納得ができず、試乗しておかしいと思えば、その車が完成間際で設備が完成していても、ライン立ち上げに「ノー」という権限がある。

 

人生道レース

 人生道を走るために、自分自身(心と体)を正しく評価して、正しく安全に素早く、美しく走れるように心身を鍛えねばならぬ。そのために正しく評価して指導してくれる「師」を持たねばならぬ。それをしないから、人生道で脱落、転落、自殺をするのだ。だからこそ、「3年かけて師を探せ」である。

 人生道レースの基本は自分の健康である。健康でなければ、人生道レースで勝てない。その競争相手は、自分である。走行中の大事な時に、病気になって病院にピットインでは、人生の勝利など夢の夢だ。体のかすかな不調の気配にも気づき、早めの手を打つべきだ。自分は人生道を走行する「体」のテストドライバーなのだ。

 人生道に待ち受ける危険を事前に想定して、行動することが危機管理である。事故は仏様が己を試しているのだ。その事故に己はどう対処、予測していたのかが、問われている。人生道は、雪道よりも恐ろしい。一つ間違えれば、スピンして奈落の地獄にまっしぐらである。

 

出世競争

 人生道を走るのは、人より早く出世することが目的ではない。それは単なる会社での出世競争である。下劣な精神でも、汚れた会社内なら、悪知恵があれば他人を蹴落として社長にも出世できる。まるでゴーンのように。それで幸せなのか。

 

トヨタの社長のこだわり

 だから豊田章男社長は、自社製品を良く知るため、感性を上げるため、こだわりでレース用のライセンスを取得している。普通の会社の社長、役員は、自分で車の運転をすることがご法度であるが、車メーカは少し事情が違う。トヨタでは、社長や役員は自分で自社の車を運転して、「商品」を自分の眼で確認するのが伝統だ。ただ秘書室の担当は気が気きではない。できれば社長には危険な運転はして欲しくないのが本音である。

 

石田退三氏の墓参り

 約40年前に、豊田英二氏(当時社長か会長)が、社長車センチュリーの後部座席に乗るのではなく、自分でカリーナEDを運転して、豊田市から彦根市まで豊田佐吉翁の長女、愛子さんのお墓参りと石田退三氏の墓参りに行っている。

 トヨタの大番頭といわれた石田退三氏のお墓は、トヨタの家風を表すように華美ではなく、堅実である。石田退三氏のお墓は、氏が生前に経営の正道を歩んだ姿を表している。石田退三氏の戒名「豊光院釈精進」は、「豊田を光らせた精進者」と言う意味の素晴らしい名前である。

Photo

石田家墓所  岡崎産の御影石  石田退三氏の戒名「豊光院釈精進」

2015年7月7日撮影

 

2021-01-18 久志能幾研究所通信 1893  小田泰仙

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