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2020年12月22日 (火)

大垣市の傲慢さ、「各位」の傲慢さ

 

 大垣市から、年末歳末助け合い募金の案内が町内回覧で回ってきた。冒頭の文字を見て絶句である。冒頭に「各位」とある。今時、お願いする文書で、「各位」と書くとは傲慢すぎる。明治時代のお役所からの通達ならともかく、令和の時代の公式文書では、呆れを通り越して怒りである。日頃の小川敏の言動を見れば、当然の帰着である。部下は傲慢な小川敏の背中を見て、仕事をするからだ。部下は左遷が怖いので、小川敏のやる通りに仕事をする。

 

下々の者どもよ

 その文面も上から視線である。各位とは、上から視線で、「下々の各位の者どもよ、殿様からのお達しであるぞ。金を出せ」である。各位とは、宮中での官位を決めた言葉である。身分制度がない現代で、死語である。

 福祉体制が整った現代社会では、共同募金などは、うさん臭い募金である。それよりも豊富な福祉予算を使って施設におカネを回せばよいのだ。大垣市は他市よりも税金が高い。寄付金の依存度もダントツで高く、小川敏が自慢げに御用新聞に頻繁に掲載させる。なぜ貰うほうの小川敏が威張っているのか。

 しかし、その使用用途に不明金も多い。その集金団体も、役所の天下り先となっている。その天下った役人の給与も半端ではない。だから募金しようとする意欲が萎える。

 

寄付の半強制

 市役所からの寄付依頼書は、善意の寄付を、半強制で各家庭に400円を割りあてである。善意の押し付け、横暴である。その会計報告もまともではない。巷の噂では寄付金額の2割から3割がご苦労さん会、事務員の給与に振り向けられるようだ。

 大垣市は、赤十字社募金で寄付金額に応じて、金を集めた団体に7%のキャッシュバックまである。なにかおかしくないか。

 

市民を助けない小川敏

 大垣市からの要請案内で、年末歳末助け合い募金を強制するなら、何故、新型コロナ対処の市民への支援金が、海津市の10分の1しかないのだ。この年末歳末助け合い募金は小川敏の市民への裏切りとしか思えない。小川敏は自分達の給与カットも辞退せず、議会もその提案を否決した。人に寄付を強制するなら、まず己が模範を示せ。

 

子供の躾、部下の躾

 子供は親の言う通りにはならない。親が背中で示すように、親のやるようにやる。大垣市長の小川敏は寄付金集めで忙しい。岐阜新聞に寄付者とツーショットの写真が目白押しである。乞食行政のオンパレードである。小川敏の子供に相当する大垣市役人どもが、小川敏の背中を見て、寄付金集めでも、小川敏のように上から視線で「お仕事」をするのは当然の帰着である。一事が万事である。

 

行きつく先が非人間行為

 だから今年の大垣市の新春餅つき大会で、老人が餅の誤嚥で死亡しても(殺しても)、担当責任者(小倉利之理事長、松本正平専務理事)は弔問にも行かず、知らんふりをするのだ。人間のやることではない。市の行事で市民が死亡しても、小川敏がその説明責任を放棄するのだ。小川敏が市長であることが、大垣市の最大の不幸である。

 その死亡事故の責任の追及さえ、大垣市議会でも問題にもしない。岐阜新聞も中日新聞も無視である。そんな新聞を子供に見せれば、子供がおかしくなる。

 

P1140203 2020-12-22  久志能幾研究所通信 1870  小田泰仙

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コメント

各位に何の違和感もありませんが、問題あるのでしょうか?
ほとんどの人が気にならないと思いますが…

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