私の貧乏神信仰 私はこれで貧乏になった
私の貧乏神とは、馬場恵峰先生の書の出版物(出版佛)である。今まで恵峰先生の書の写真集を5冊ほど出版しているが、全て大赤字である。
製本して出版しても発行部数は精々200冊である。通常は50冊から100冊である。200冊売れても、仮に利益一冊500円としても10万円にしかならない。それも大半が贈呈品で、あとは売れ残りである。そのために、大垣から長崎までの交通費、宿泊費、撮影人工、助手へのお礼、編集工数、撮影機材の購入費、機材の減価償却費を正規に入れると大赤字である。
オフセット印刷にすれば、大幅に売価が安くなるが、印刷の製版を作るのに、数百万円もかかる。10万部でも作ればよいが、部数200冊では採算が合うはずがない。だからオンデマンド印刷で製本するが、そのかわり単価が高い。
それでも馬場恵峰師の書の出版を止めないのは、金儲けが目的ではないからだ。私は馬場恵峰師の書の偉業を後世に残すために出版している。書を出版物にすれば、国会図書館に保管され、記録として後世に残る。これは文化活動である。文化活動には金がかかるのだ。
私は書の本を出版することで貧乏になったが、心は豊かになった。
日本の文化活動の悲惨さ
日本政府の文化活動への資金投入は先進国中で最低である。大垣市はさらに酷い状況だ。小川敏はバカ騒ぎの行事には金を出すが、文化芸術活動にはビタ一文も出す気はない。小川敏はバカ騒ぎの市制100周年記念行事に3億5千万円も散財したが、経済的にも文化的にも金をドブに捨てることになった。結果、翌年の大垣市の公示地価は更に下落である。小川敏が市長に就任して19年間、連続の下落である。
それに対して、大垣の未来を背負う子供たちを120人も招待した「世界で一流の音楽を楽しむ会」の催しに、小川敏はビタ一文も支援しない。本来、この音楽会は市制100周年記念行事の一つにすべきだったが、それも小川敏に無視された。私も寄付集めの協力をしようと大垣財界に寄付のお願いに回ったが、門前払いである。なんでサルの共食いのような「ギネス水饅頭共食い」行事が市制100周年記念行事なのだ。それが文化都市のやることか! 「ギネス水饅頭共食い」行事は、全国の笑いものになったのだ。
それに対して子供たちを120人も招待した「世界で一流の音楽を楽しむ会」が100周年記念行事でないのだ。大垣市は狂っている。だから大垣は文化芸術の面でも没落した。大垣を没落させた犯人は小川敏である。
「ギネス水饅頭共食い」の狂宴 2018年6月3日
たった一つの水饅頭を食べさせあって、ギネス記録にするために、炎天下で約3時間も拘束された約3000人の市民たち。この記録は、サルにもとれる記録である。それが文化都市のやることか!
ルネッサンスの花
昔から芸術家は極貧の中で暮らしていた。シューベルトもモーツアルトも極貧の内に死んだ。モーツアルトの遺体は、棺さえ用意されず、遺体は使い回しの遺体袋に入れられ、直接墓穴に放り込まれた。
ルネッサンスで芸術の花が開いたのは、メジチ家というパトロンが芸術家を支援したために、芸術家が思う存分に活動できた。アメリカで芸術が盛んなのは、富豪が芸術に寄付をしているためだ。経済大国と言われながら、日本の金持ちや高学歴の政治家は、金儲けには如才ないが、文化芸術には目も向けない。それが日本の芸術の発展を阻害している。だから日本はエコノミックアニマルと軽蔑されたのだ。
貧乏神信仰
貧しい染物屋の夫婦が、いくら努力をしても貧乏から抜け出せないので、ふと思いついて、ほかの人たちが嫌がっている貧乏神を大切に祭ったところ、貧乏神がひどく感激して、「おまえたちの貧乏の原因になっているものを、贅沢にふけっている金持ちの二代目に渡してきてやる」と夢で約束して、そのあと貧乏な染物屋夫婦は大金持ちになった。
以上、井原西鶴の代表作『日本永代蔵』のストーリ
このストーリのすばらしいところは、貧乏に苦しむ夫婦が貧乏神を大切に祭ったことである。新しいビジネスを立ち上げたのはよいが、不運の連続に見舞われたとき、不運を嫌ったり、呪うのではなく、自分を鍛えてくれる不運に感謝する心構えを持つことが大切であると、西鶴は私たちに語りかけているのではないだろうか。
松下信武著 PRESIDETN 2002.5.13号より
馬場恵峰書
2020-11-26 久志能幾研究所通信 1838 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント