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2020年11月15日 (日)

人生はグー・チョキ・パーの勝負

     

 人間様が仏様とじゃんけんをして勝てるわけがない。

 仏様はすべてお見通し。人の最期はパーである。

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。赤子は生まれるとき、手を握り締めて生まれてくる。その手の中に「ご先祖の霊」を掴んでいる。だから人を「霊止(ひと)」とも書く。人はご先祖の生まれ変わりである。

 人生の盛衰期は、世間と戦いチョキで切りまくり、手当たり次第に、強欲に集める。人が死ぬときは、弛緩状態になり手を開いて何も持たず、あの世に旅たつ。どれだけ莫大な財宝を現世で集めても、死ぬときは裸である。すべてパーである。あの世に持っていけない。人は生前に集めて握りしめたものではなく、人にパーッと与えたもので評価される。

 

人生工場の鍛錬ライン

 次図は、人生工場の行程を絵にした。人生では様々な工程を経て魂が浄化していく。時にはチョ停(怪我)、ドカ停(大病)、落とし穴にはまり(詐欺にあう)、生産中止(解雇)、工場閉鎖(死)がある。魂の品質検査をしてくれるのが師である。

 

人生工場の生産ライン トヨタ生産方式

 遇うべきご縁は、早からず、遅からず、「ジャスト・イン・タイム」で訪れる。人生で無駄なものはない。嫌なことも、自分を成長させるために試練なのだ。神仏の絶妙な差配には、人智の及ばない世界がある。人生工場のトヨタ生産方式は、在庫を持たない生産方式のため、ご縁はその時かぎり、ご縁の女神に後ろ髪はない。後からでは掴めない。

 

コスプレ人生

 良きご縁は、時として貧乏神のコスプレで来るときもある。第三の眼が開いて、ご縁を熟視しないと大事なご縁を見落としてしまう。

 人と動物と生き方が違うのは、人は気づいたら、人生の道を変えることができる。間違った道だと気が付いても、そのまま惰性で生きれば、犬猫と変わらない。己の使命を自覚して、精進して人格を高めよう。

 

人生の夜汽車

 人生工場の生産ラインでは、一時停止ボタンはあるが後戻りボタンはない。後戻りはできないが、やり直し、出直しはできる。

 何もしなくても、寝ていても、夜汽車のように、どんどんと終着駅(死)に運ばれていく。何もしないでいると、夢の超特急で終着駅に向かう。昔は三途の河を舟で渡ったが、今は怠惰な輩のために、三途の河上を走行する新幹線が用意されているとか(?)。

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Dsc098501s  「寝ていても 運ばれてゆく 夜汽車かな」 俊董

 本書は叔母の師である青山俊董堂長の著書『もう一人の私への旅』に揮毫したもの。

 私の叔母は京都の尼寺の住職であった。

2020-11-15 久志能幾研究所通信 1825  小田泰仙

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