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2020年9月25日 (金)

餓死を選択しよう  磨墨知83.

 

 私は終末医療として、体中に多くの管を入れられ、ベッドに固定されたままで死にたくはない。それは生きているのではなく、生き長らせられている状態である。死にたくても死ねない。死なせてくれない。地獄である。人生は終わっている。

 管を鼻や口や血管に無理やり入れられるのは辛いもの。体が物を食べたくないといっているのに、無理やりに栄養分を管で流し込む。だから寝ているときに無意識の管を抜こうとする。それ故、病院側は両手をベッドに紐で括り付ける。自分の意思を表現できないのは、生きながらの地獄である。そこに人間の尊厳はない。それまでして生きたくはない。

 還暦を過ぎたら、延命治療の可否を家族に伝えておこう。

 

広田弘毅の母の餓死

 城山三郎著『落日燃ゆ』に出てくる広田弘毅の母は、死を予感してオランダ公使として赴任中の広田弘毅に会いたいと連絡する。広田弘毅は、立場上でオランダを離れるわけができず、それを母に伝えると、広田弘毅の母は、それ以来、食事を拒否して餓死された。その著を読んで30年経っても、その死にざまが、私の脳裏から消えない。

 

自然の摂理

 餓死は苦しくない。自然に眠るがごとく死ねる方法である。人は生まれ、老い、病気になり死を迎える。自然の摂理である。死ぬときは自分の意思であの世に逝こう。それが残された時間の有効利用である。家族の時間も大事にしよう。生きる自由があるのだから、死ぬ方法の選択があってしかるべきと思う。

 

母の死

 母は脳溢血で倒れ、幸いにも手術は成功して復帰したが、その半年後、脳梗塞になり、意識のないままベッドに半年間、横たわった。自力で呼吸できないので人工呼吸器をつけられ、自力で食べられないので、点滴で栄養素を体に送り込まれる状態が半年続いた。

 私は母を半年間見守ったが、見舞いに行っても、意識のない母を見るほど辛いものはない。それを看病する父も辛かったと思う。母が生前に延命治療の可否を意思表示するなら、決して了解しなかったと思う。そうまでして、家族をくるしめるような母ではなかった。

 

延命治療

 植物人間を生かす医療は、現代医学の傲慢さの表れではないのか。現代医学は神を目指しているようだ。延命治療をして、誰が幸せになるのか、根本思想が間違っている。意思表示ができない本人は不幸、家族も不幸である。不幸でないのは、延命治療で儲かる薬品業界、医療業界だけではないか。

 人間は、宇宙の中のチリから生まれた一つの生命体である。寿命が来たら、宇宙のチリに返る。それに逆らう現代医学界は、神への越権行為である。国はそれに資源を投入して、医療費ばかりが際限なく増大して、国全体が貧乏になっていった。

 現在、日本国の18年度の医療費は42兆6000億円を超えた。日本の収入である税収は60兆円なのだ。こんな状態で経済成長などできるはずがない。だから日本の経済成長率がたった1%なのだ。日本は病気が原因で、医療費を使いすぎて、貧困家庭に没落したようなものだ。その陰で、医療関係者はお金持ちになった。

 

因果応報

 悪い食生活、悪い生活習慣を長年、続ければ病気になって当然、それが自然界の摂理で、宇宙の理である。延命治療はその「理」に反している。病気になったのは、自然界の生存原理で、負けになる手段の選択をしたのだ。それで病気になって、健康な人におんぶにだっこでは、正しい生活を守ってきた人に不公平だ。治療を受ける権利には、正しい義務(体の健康管理)を果たさねばならぬ。不可抗力で病気になった人を公的支援するのならは許せる。我儘放題で食べ過ぎて病気になったのを救うのは、やり過ぎだ。

 

リース物件

 人の体は、仏様からのリース物件である。大事に使おう。タバコ、飲酒、食べ過ぎ等の狂った食生活、夜更かし、睡眠不足等の狂った生活習慣などは、仏様への冒涜である。そうなれば罰も当たろう。そうなれば仏様がリース物件を引き上げて(死)も致し方あるまい。

 

 

アンケート:

 死期が迫っている時に延命治療を望むか

 

           臨む  望まない 分からない

 自分への延命治療  11%   71%   17.9%

 家族への延命治療  24.6%  52%   23.4%

 

  厚生労働省:終末医療に関する調査(2008年)。

  合計は必ずしも100%にならない。

Img_64091s  馬場恵峰書

 

2020-09-25 久志能幾研究所通信 1761  小田泰仙

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