般若心経の「苦集滅道」とはPDCA
般若心経で一番大事な言葉が、本文の中央に書かれた「苦集滅道」である。般若心経は、玄奘(600~664)が万巻の経典を278文字に集約したお経である。その「苦集滅道」の意味はPDCAである。現代の品質管理工学と同じことが、1400年前に既に般若心経で教えられている。つまり人間はこの2000年間、少しも進歩していない。
人の進化とは
エジプトやギリシャの遺跡で、「最近の若い者は・・・」等の老人のぼやきが書かれた文書がよく発見される。私が後世の残す戯言なら、「最近の年寄りは、昔の老人より退化している」である。老人とは、経験を積んだ賢人であるべきなのだ。それが拝金主義の現代社会では、医学発達の成果で老いても体は元気だが、肝心の智慧がなく、利権に溺れて強欲な老害を振りまいている輩が多い。問題が起きても対処療法で済ませている。若者の模範となる智慧のある老人は少ない。
対処療法が氾濫
人は苦しみに出会い、それから逃れようと様々な取り組みをするが、多くはその場しのぎの対処療養で済ませるから、少しも改善されない。それも科学技術の偽善で、間違った方向の改善が多い。一番の典型事例が、高血圧治療の降圧剤使用である。真因を探らず、対処療法の降圧剤の乱用である。
また安易な逃避の典型が、お祈りとお布施の他力本願である。いくら時間をかけてお祈りをしても、そのトラブルの真因を追求せず、単に他力本願のお祈りだけをするから、少しも改善されない。苦から逃れるためのショートカットで、苦を無くそうなど、横着である。
それに邪悪な新興宗教が付け込んで、金儲けをしている。苦しみの中、いくら祈っても、お札を貼っても、お布施を出しても、教祖や狂祖にすがっても、真因を除かないので、解決しない。
苦集滅道
無苦集滅の「苦」とはトラブルの事である。その原因を探るため、現状把握として、データを「集」める。それを分析して、どうするかを計画(PLAN)する。その対策を実行(DO)して、苦を取り除く。それで本当に苦が「滅」したかをチェックして、再行動(ACTION)して、初めて「苦」が無くなる。
因果応報とし、人として正しい「道」から外れた行いをするから、苦を生じるのだ。お天道様に恥ずかしくない道を歩め、である。
それが1400年前に作られた般若心経の神髄である。
10行目の中央に「苦集滅道」が書かれている。
上図は自宅仏壇に供えるため、馬場恵峰先生に書いて頂いた般若心経
2020-08-21 久志能幾研究所通信 1715 小田泰仙
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