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2020年8月14日 (金)

河村義子先生のご霊前での出会い

 人は人との出会い以外に、言葉との出会いがある。今日(2020年8月14日)は河村義子先生のご霊前にお参りして、素敵な言葉に出会った。

 「人に心を預けるな。佛に心を預けよ」である。

 他人の心は成長もすれば、堕落もする。己もまたしかりである。その成長速度は、人によって異なる。その変化した心で、他人と相対比較するから腹が立つ。相手の行動を批判・比較して、喜んだり、悲しんだり、怒っても益のない話である。他人の行動をこうあるべきと思うから、腹が立つ。それよりも己の心を絶対的存在の佛に預け、空の状態で世間を見れば、正しい姿が見える。事件に接して、己が佛ならどう思うか、で考えればよい。それで心が落ち着き、心がふらつくことはない。その佛とは、先人達が考えた理想の人間像である。その佛になる修行をしておられるのが菩薩である。

 

人生完全燃焼

 自分の仕事での決断は、自分が信じたことを、佛に問いかけながら邁進すればよい。結果は佛様が一番良いようにしてくれる。だから全力投球した後は、野となれ山となれ、である。その時の結果が意に添わなくても、10年後にはそれでよかったとなる事が多い。私もそんな逆縁の菩薩様に多くで出会ってきた。

 河村義子先生の戒名は、「聖観院教音義愛大姉」である。その名の通り、佛の眼で弟子を見つめ、音楽を愛し、子供を愛し、音楽を教えることで世に尽くして、使命を全うして旅立たれた。新型コロナ騒動の前に旅立たれたのが、せめてもの幸いである。

 今なら音楽家は、音楽活動が制限され、その収入も断たれ、生活が大変である。河村義子先生は、良き時代を全力で駆け抜けた。私もそんな仏様のような先生とご縁ができて感謝である。

 

犬も歩けば

 私の今までの音楽人生は、一歩前進、一歩後退であった。しかし、その一歩を動いて、多くのご縁を頂いただけ、人間的に成長できた。一歩後退しても、決してマイナスではない。人は動かなければ、ご縁に出会えない。それを賢人は「犬も歩けば、棒に当たる」という。止っていてはダメなのだ。止って、家に閉じこもっていれば、認知症への道をまっしぐらである「歩く」とは「止まる」が「少ない」と書く。

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   松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像 

 

2020-08-14 久志能幾研究所通信 1705  小田泰仙

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