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2020年8月15日 (土)

英霊に礼なきは亡国の兆し  靖国神社問題

英霊に敬意が愛国心

 

 8月15日の「敗戦の日」が来ると、毎年、靖国神社参拝の有無で騒々しい。「終戦の日」ではなく、「敗戦の日」と書いたのは、全マスコミが、事実を隠蔽する体質が、この言葉でもある。事実は、終戦でなく、敗戦である。

 英霊は、国に残した銃後の親、妻、子供のために戦った。不本意であっても、それで国に命を捧げたのだ。

 なぜ祖国のために戦って命を捧げた英霊に元首がお参りしてはならないのか。中韓から非難を恐れて参拝しないのは、国辱である。国の敵は外ではなく、内なる売国奴である。媚中議員、媚中党である。そいつらが国を亡ぼすのだ。外の敵ではなく、国内の売国奴が、である。国民はそいつらに選挙で投票しなければよい。それに考えが及ばないのは、国を愛していないのだ。

 父ジョージブッシュ大統領が1992年、来日した時、靖国神社に参拝するという話があったが、日本側がそれを中韓に気兼ねをして断ったという。アメリカも英霊には特別の敬意を払っている。戦犯などという意識はない。それなのに、日本政府の対応が情けない。

 

米国アーリントン墓地

 以下は、1994年、私がアーリントン墓地を参拝した時の記録である。

 アーリントン墓地での無名戦士の墓を護る兵士の交代式は、国家としての意思を内外にアピールする素晴らしいパーフォーマンスとして感じられた。

 この交代式は一定時間毎に行われ、厳粛な儀式として執り行われている。一人の衛兵が直立不動で無名戦士の墓を護っている。そこに交代の衛兵ともう一人の士官が登場し、その士官が直立不動で観客に向かい、「只今から交代式を執り行うので、全員起立して、静粛にお願いします。」と張りのある良く届く声で告げるのは、格調が高いオープニングである。その後その士官が交代の衛兵の銃を5分ほど銃の点検の儀式としてこねくり(?)回し、2人の衛兵が交代して儀式は終わる。その動作は、儀式としての各動作として、甲高く靴の合わせる音、敬礼、行進、銃の持ち替え等と見ていて舞踏芸術を見る観がある。たった3人で、100人以上の観客を引きつけるセレモニーは並ではない。

 これを見て、国家として、国に対して尽くしてくれた無名戦没者への力の入れ方の熱意とそれの自己主張、自己PRする旨さを感じる。これは愛国心を高揚させるには良い手段である。これなら安心(?)して、戦地に息子を送れるのかもしれない。別に戦争賛成ではないのだが、日本も、国際社会でもっと自分の立場を主張するには、こう言ったパーフォーマンスが必要だと考えさせられた。日本以外の世界では、控えめな態度や沈黙が何の理解ももたらさない事実を認識すべきである。これもコミュニケーション技術としての私の見方の産物です。

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 無名戦士の墓を護る兵士の交代式   1994年8月

 

ベトナム戦没者の碑

 リンカーン記念館の近くの公園内に、黒い御影石で作られた長さ200~300m、高さ3m程の長細い三角形碑がある。その碑全面に、びっしりと5万8千余の膨大な戦没者名が刻まれた悲哀の壁は、独特の荘厳さがある。

 横に長く広がるこの碑の各所には、花や小さな米国旗が供えられていたり、親族の名を紙に転写している人や、名前をさすっている人がいたりと、その場所を通過すると関係ない私でも、何故か胸が熱くなるのを感ずる。これは各種のガイドブックの文面からはけっして伝わってこない状況だ。

 米国は理想に燃え、間違ったことでも国中で突っ走ってしまう歴史的事実が多いのだがその間違いをこういった形で後世に残すフィードバック体制は、他の先進国には見られないものだ。その点では、アメリカ人は純粋で評価すべきである。米国史博物館にも、この場所の記念碑のパノラマ縮小模型が展示されている。(ただし、ペンタゴンツアーではこの事例は展示ない)

 当時、ベトナム戦役拒否をした大学生だったクリントンを大統領に選んでしまうこの国の包容力の凄さをこの碑を見て感じた。

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 ベトナム戦没者の碑 

 

 この場所は訪問する予定がなかったのだが、リンカーンセンターからスミソニアン博物館郡にわたる公園内を歩いていたら嫌でも目に入ってきてしまった。また私はこういった場所を記念撮影するのは不謹慎だと思っているので、写真を撮るつもりはなかったが、ついその荘厳さに、遠景から写真を撮ることを許してもらった。

 私は墓地とか慰霊碑の前で記念撮影する人の気持ちがわからない・・・。なんと不謹慎な! 私は、マスコミが不幸のあった人々の悲しむ姿を、近距離から執拗に撮影するのを何時も苦々しく感じている。あれは報道の名を借りた暴力以外の何物でもない。普通の人は、肉体的苦痛より、精神的苦痛が心身に響くものだ。せめて遠くから撮る配慮ぐらいできないのかと腹立たしく思う。悲嘆にくれる人達をそっとしておいてあげるのは、人間として最低の心配りである。その点で最近のマスコミ、特にTVワイドショーのエセヒューマン的振る舞いは極悪非道である。TVワイドショーは、現代版川原乞食の見せ物興行(それをワイドショーと横文字を使うから騙される)であるが私の意見です。それを平然として見るのは、もっと非人間的行為である。国民の品格は、こんなところに如実に出てくるものだ。いつから日本はこんなに心の貧しい国になったのだろう。

 

イタリアの無名戦士の墓

 第二次世界大戦でムッソリーニのファシズム国家として戦ったイタリアでさえ、国のために戦って命を落とした英霊は儀仗兵に守られて、「ヴ一トリオ・エマヌエーレ2世記念碑」として無名戦死者のMonumento a Vittorio Emanuele II(ヴ一トリオ・エマヌエーレ2世記念碑)に荘厳に埋葬されている。それを私は2010年のローマ旅行で確認した。

 ローマの中心ヴェネツィア広場にそびえる巨大な白いモニュメントは、1961年のイタリア統一50周年記念として建てられた。その建物の真ん中に立つ初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が、ヴィットリアーノという呼び名の由来である。またの呼び名をAltare della Patria(祖国の祭壇)という。完成が1911年と比較的新しい建物で、兵士が常時警備する第1次世界大戦の無名戦士の墓がある神聖な場所である。その儀仗兵の交代式は荘厳である。

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Img_2121s    儀仗兵の交代式     2010年11月15日

2020-08-15 久志能幾研究所通信 1706  小田泰仙

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