« 記事一覧更新(1673通) | メイン | 智慧が人を賢くし、知識が人を堕落させる »

2020年7月22日 (水)

書評「死という最後の未来」

石原慎太郎・曽根綾子著 玄冬舎 1500円(2020年6月20日初版)

.

 死という未知を学ぶ

 私はこの本を読んで、生きる勇気を貰った。死に対して達観できて、勇気を持って人生の収穫期を生きる勇気を得た。死の直前は、人生舞台の幕が下りる寸前のクライマックスである。カーテンコールを期待して最後の頑張りをしよう。良く死ぬために、よく生きる。そういう勇気をこの本からもらった。

 曽根さんは、自然界に身を置くと、その営みに感化されて、春夏秋冬の自然の営みで、人間もそのサイクルで老い、死ぬのが納得できるという。人間は自然界の中の小さな存在だ。今の現代人はそれを忘れている。

 久しぶりに読後感の良い本に出合えた。文中に示唆に富む言葉を多く見付けた。それを下記に記す。

                    2020年7月21日読破

 

 

石原 ホーキング博士は40年前の講演会で「高度な文明を持った星は、自然の循環が狂って、宇宙時間でいうと瞬間的に滅びます」と言った。彼の言う宇宙時間の瞬間的とは、100年である。

 ホーキング博士は永遠性を肯定的に説いた人で、そういうふうに語った哲学者もいない。それと同じことを、お釈迦様も法華経も説いている。(p117)

 

延命治療はやらない

曽根 人生の最期でやってはいけないこと。点滴・胃瘻、気管切開、酸素吸入。(p159)

 

 私の母も脳梗塞で、半年間、意識もなくベッドで延命治療を受けた。自分で呼吸ができないので、酸素吸入である。そばで見ていて残酷だと思った。自分なら早く死なせて欲しいと思う。付き添いの家族が不幸である。

 

曽根 人間の一生は「永遠の前の一瞬」。(p162)

曽根 本当の友情というのは、相手の健康や幸せを望むこと。(P169)

曽根 私の場合は何も残したくはないですけれど、棺に入った時に、誰か胸元に「ミッション・コンプリート」と書いた紙をおいてくれないかしら、と思いますね。(P178)

石原 織田信長が桶狭間の戦いに出かける前に、一差し舞ったのは「敦盛」。「人間五十年、下天の内を比べれば、夢まぼろしの如くなり。一度性を受け、滅せぬ者のあるべきか。これぞ菩薩の種ならむ、これぞ菩薩の種ならむ。死のは一定、しのぶ草には何をしようぞ、一定かたりをこすよの」

 人は、誰か死んだ後、なんだかんだと勝手なことを言うけど、全くおこがましい、ちゃんちゃらおかしいと信長は軽蔑しているんです。(P171)

 

曽根 寿命は、聖書の中で「ヘリキア」という言葉で出てくる。ギリシア語で、意味は3つある。それは寿命、その職業に適した年齢、背丈である。どれも自分の自由にならない。命の長さは神様が決めること。(P183)

石原 大自然の中では、誰も頼れない。そいう環境に身を置かないと脳幹を鍛えられない。今の若者は、辛いことを避けて経験しないから、脳幹が鍛えられいない。今の若者は、スマホに氾濫している情報を過剰に摂取しているから、本能が衰える。頭にはどっさり実がなっているが、支えなければ肝心の幹がやせているから、なにかあると簡単にポキンと折れてしまう。(P199)

 

曽根 やはり食が大事ですから。あとはリンパマッサージ。これは定期的にやって、血流をよくしています。目を使う仕事ですし、頭皮も全部揉んでもらうんです。気持ちがいいですよ。頭蓋骨の中の血流をよくすることも重要ですから。(P203)

曽根 私は50歳になった時から、寝る前に「3秒の感謝」というものを始めた。「今日までありがとうございました」と言うんです。もしその夜中に死んだとしても、けじめをつけたことになるでしょう。死ぬことは良い制度だと思います。

 だって、「あなた自由にやりなさい」とずっと生きていたら、どこでやめたらいいかわからないじゃないですか(笑)。(P205)

 私は寝る前に、仏壇の前で仏様とご先祖に感謝をしてから眠りにつく。私は曽根さんと同じことをしている。それがけじめになっていることを教えて頂いた。

 私は馬場恵峰師の教えに従って、朝は希望を抱いて起き、夜は感謝で眠りにつく。

曽根 人は、社会貢献することが大切。年老いて、誰しも外見がどんどん衰えていきます。その人を輝かせるのは「徳」だけなんです。社会にほんの少しの奉仕もしようと思わない人は、「徳」がないのです。

 古代ギリシア語の「徳」という言葉には、卓越という意味もある。奉仕に興味がない人は、卓越もしていない。

 「受けるよりは与えるほうが幸いである」(P207)

 現代の日本社会は、貰うことばかりに狂騒している。利他の心が失われてしまった。今の日本人は心の修養が出来ていないのだ。修身の教育が必要だ。

曽根 人の役に立てるということは、自分自身の希望になる。自分にも光を与えられるということなんでしょう。(P213)

曽根 私たちは、こと中年以降は、弱っている人たちや助けを必要とする人たちの存在を、絶えず意識して生きることが必要だと思いますよ。運命を嘆いてみたり、文句ばかり言っているような人は、誰かに与えるとか差し出すとか、心に寄り添うということがまったくないように見受けられますね。(P130)

 私は嘆きばかりしていたり、未来の話をしない人とは縁を遠ざけるように心がけている。その言葉の影響を一番多く受けるのは、本人自身なのに、その人はそれに気が付いていない。そんな人と付き合っては、自分の人生のフィナーレを穢すことになる。私は少しでも、皆さんのためになる情報を提供しようと取り組んでいる。

Photo

Dsc045961s

2020-07-22 久志能幾研究所通信 1675 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

コメント

コメントを投稿