「歳の割には若く見えるね」を目標に生きる
2020年6月12日、ナグモクリニックに血液検査の結果を聞きに行った。南雲吉則先生から「60を超えたら、歳の割には若く見えるね」と言われることを目標にしなさいと指導された。先生より血液検査データを基に、不足しているビタミン類を指導して頂いた。
確かに60を超えたら、金も名誉も女もいらぬ。何時までも若くありたいが本心である。
この時、9年前に購入して、熟読していた南雲吉則先生の著書を持参して、サインを頂いた。この本は各50万部ほど売れたという。ただし、今はこの本の内容は古典扱いなので、最近の著書を読んで欲しいと言われた。
各左から2011年、2012年、2012年発行の著書
サインを頂いた
政治家のあるべき姿
政治家は、若く見られないと、選挙でも不利である。1960年、ケネディがニクソンと米大統領選を闘った時、米国民の選択は、若く見えるケネディを大統領に選んだ。ケネディは大統領選挙で若く見えるメークの作戦を立てていた。それに対してニクソンは、それには無頓着であった。テレビ討論会で、その画面に映る若さの差の姿が、選挙結果に現れた。それ以来、大統領選挙で顔のメークでのイメージ作戦が常識となった。
選挙運動の重要な転換点は4回行われたケネディとニクソンの討論だった。これらは初めてテレビ中継された大統領候補同士の討論だった。ニクソンは最初の討論が開始される数時間前まで遊説を続けることに固執した。入院の原因となった怪我からも完全に回復して居らず、青ざめて病気のようであり、体重が落ち疲れて見えた。最初の討論のとき、メーキャップは男らしさには必要ないと拒み、その結果当時の白黒テレビでは無精髭が目立った。
対照的にケネディは、ローフォードらのアドバイスによりメーキャップを念入りに行ったほか、最初の討論の前に休養を取り、日焼けして、自信に溢れ、討論の間もリラックスしていた。
推計8,000万人が最初の討論を視聴した。テレビで討論を見た多くの人々が、ケネディが勝ったと思い、ラジオを聞いた人々(聴取者は少数)はニクソンが勝ったと思った。(この項、Wikipediaより編集)
小川敏の顔
小川敏のようにシミだらけの顔をニコリともせず、渋い老人の顔を晒しては、大垣市の玄関にドクロを晒すようなものだ。
何時までも権力の座に未練を作り、市長の座にしがみ付く姿を見ると哀れになる。本人は良いが、大垣市民が不幸である。福岡市の高島市長のように、若い活力ある顔や活力ある政策が、市民の誇りとなる。小川敏の旧態依然たる古い政治では、大垣が寂れて当然である。岐阜県第二の都市として、小川敏の顔では恥ずかしい。
小川敏が、5選も市長に居座っていられるは、裏で画策して対抗馬が出ないようにしてしているためである。小川敏は、市長選の1年以上前から大垣財閥の支持を取り付け、市長選が公示されたときは、対抗馬が出られない状況を作り出している。だから、小川敏は、自身が若く見られなくも当選するつもりなので、外見に無頓着である。
小川敏の悪知恵
それは小川敏が政治家を志した時、吝嗇な母親に泣いて止められた苦い経験から出た智慧である。母親は、政治は金がかかるから、息子が政治家になるのは絶対に反対であった。だから町内で話題になるくらいに泣いて立候補を止めた。それで小川敏が考えた手が、金のかからない選挙活動で、それが無投票当選に持ち込む作戦である。彼は母親思いである? だから市長職の座を最大限に利用して、事前選挙活動として、岐阜新聞等の紙面での売名活動を凄まじいまでにしている。
小川敏は使うべき才能を、自分の保身に使っている。仏様は、その能力をそんなことに使うために与えたのではないのだ。罰が当たりますぞ。
大垣市と大違いである。
高島宗一郎著『福岡市を経営する』ダイヤモンド社
2020-06-14 久志能幾研究所通信 1632 小田泰仙
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