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2019年9月14日 (土)

大垣の没落でホテルも衰退。食い物の恨みは….

 大垣駅前にあった「ロワジールホテル大垣」が、2年前に別会社に売られて「クインテッサホテル大垣」に変わった。当初は良かったが、だんだんと質が落ちていき、現在は最悪になった。大垣の没落と同時進行であった。大垣がよくならないと、ホテルも利用するのが恥ずかしいレベルに下がる。

 

朝食バイキングを利用する目的

 私がホテルの朝食バイキングを食べる理由は、食での健康管理と精神の「修行」の為である。バイキング料理は、多くの種類の食材をバランスよく食べることが出来る。食での健康管理上で、最適である。

 また精神の「修業」とは、美味しい食い物が数多く目の前に並んでいても、それの誘惑に負けず、腹七分目しか食べないように心を鍛える場としている為である。私の意思の鍛錬場である。元を取ろうとして、食べ過ぎは毒になる。

 だから私は朝食バイキングの定価の7割分しか食べない。目の前にご馳走が数多く並んでいても、あえて食べない訓練をしている。お代わりは原則禁止である。スィーツも禁止である。揚げ物、油分の多い食材、肉類、ジュース類も食べない。パンもほとんど食べない。

 その昔(15年程前)は、休日にホテルの朝食バイキングレストランに行くのが楽しみで、その場で2,3食分を食べていたこともある。しかし2009年、大腸ポリープの病気をして、大腸がんになる恐怖心から、食の健康管理として、ダイエットとして、食べ放題(バイキング)に通う方針に変えた。

 食べ放題レストランで、食欲を抑えて食べないで済ませるのは、最高の贅沢である。出来そうで(?)、できない。難しい行である。

 

2年前の状態

 その昔の、前のロワジールホテル時代は、質のよいホテルで、朝食も質も良かった。その前の昔はチサンホテルであった。そのホテルが2017年10月1日にクインテッサホテル大垣にリブランドした。その直後、ここで河村義子先生の最期の公式演奏会となったドレスデントリオの「新春コンサート(2018年1月13日)」を開催できた。想い出のホテルである。

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 ドレスデントリオの「新春コンサート」2018年1月13日

 クインテッサホテル大垣

 

大垣の没落後

 このホテルも大垣駅前商店街も衰退し、大垣が没落して、大垣に来る客層が変わってきた。大垣が衰退したので、高い金を落とす客が減り、中国や近隣アジアからの団体客が増えた。ホテルの客単価が下がって、ホテルも採算が合わなくなって、身売りをした。それで安いビジネスホテルのレベルに格下げとなった。そのせいで、朝食もレベルが下がった。それは大垣の没落と歩調が合っている。

 風が吹けば桶屋が儲かるように、大垣が没落すれば、ホテルの朝食の質もホテル自体の質も下がるのだ。

 

2年前の朝食の状況

 朝食会場のレストランでは、料理人が目の前で、好きな食材をトッピングのある卵焼きや焼き魚を「炭火」で焼いてくれた。味噌汁も、他のホテルでは見かけることが稀なほど、具沢山の味噌汁であった。それは斎藤料理長がこだわりを持って、料理内容を改革したためであった。

 齋藤料理長がこのホテルに来る前は、朝食バイキングは、並みのレベルでひどいものであった。当時は、私は月に1度くらいしかこのホテルの朝食バイキングに行かなかった。しかし齋藤料理長が内容を改革して、ピカ一の朝食バイキングに変えた。斎藤料理長が、腕を振るった料理が数多くあった。私は齋藤さんと懇意になり、週に6日も朝食だけに通うようになった。

 その齋藤料理長が2年前に、理不尽な会社都合で辞めさせられてから、料理の質が目に見えて悪くなった。全国のクインテッサホテルの中で、大垣だけ突出して料理の質が良いので、それが格安ホテルとして問題になったようだ。なんでも、性能(味)がよければよいわけではない。世の中は難しい。

 この朝食が楽天のグルナビで高得点であったのが、齋藤さんの自慢であった。齋藤さんがホテルを去ってからは、そうではないようだ。

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 目の前で料理をしてくれる齋藤料理長 2015‎年‎1‎月‎18‎日、‏‎7:56

 

河村義子先生との思い出

 齋藤料理長が腕を振るう料理が素晴らしいので、河村義子先生との会食でもこのレストランを利用して、懐石料理を数回、ご馳走させていただいた。河村義子先生が病気になり、退院後、先生の快気祝いで会食を楽しみにしていたが、昨年末の急なご逝去でそれが叶わなくなったのが哀しい。

 河村義子先生が、出された懐石料理で、特に美味しかった料理の調理方法を齋藤料理長から聞き込んでいる姿が懐かしい。河村義子先生は単なる専業ピアニストでなく、家庭を預かる主婦として、美味しい料理の料理方法の研究に熱心であった。家族思いの研究熱心な先生であった。

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河村義子先生と齋藤料理長 2017‎年‎11‎月‎15‎日

 

質の低下 現在の朝食バイキング

 以前は手づくりの料理がメインであったが、今は、出来合いの業務用のパック詰めの総菜を暖めて出している。ホテルで自前の料理品は激減した。今は、パックから出して、温めるだけで出せる業務用の総菜が、何でもある。しかしそのパック品の総菜は、防腐剤や、添加物が多いと推定され、私は食べない。

 味噌汁も以前は、具沢山であったが、今はシャビシャビの味噌汁である。

 パンも以前は、料理人が「炭火」で目の前で焼いてくれた。炭火で焼くと味が違うのだ。いまは三流品のトースターで、自分で焼かねばならない。

 出される魚の質も悪くなった。

 以前はあった「うどん」、「そば」も無くなった。

 以前は、特色あるこだわりのスィーツもあったが、今は無くなった。

 以前は切りたてであった生のパイナップルも、缶詰製に変わった。とても食べる気になれない品物である。

 以前はドリップコーヒであったが、自販機タイプに変わった。

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 総菜の種類は多く、見た目は良いが、ほとんどがパック品の業務用総菜である。手作り品がほとんどなく、私は食べない。防腐剤、添加物が怖い。

 

中国人団体と同席

 以前は、中国人の団体と日本人は食べる部屋が分かれていた。しかし今は、同じ部屋で中国人の団体客と同席して食事をせねばならぬ。無作法な人が多く、傍で食事をすると非常に不愉快である。だから私は、時間をずらして、中国人団体客と同席しないようにしている。

  

全国統一の愚

 ホテル側の説明では、この改革で、全国のクインテッサホテルのチェーン店と同じサービスに統一したという。つまり最低のレベルに統一したのだ。これではチェーン店の同じ名のホテルに泊まる気になれない。

 

東京本社のホテル幹部の傲慢さ

 2年前、ホテルがクインテッサホテルに名前が変わり、東京の幹部が視察に来て、朝食会場で仲間同士が食事をしていた。私はその場で、隣に同席していた。彼らの下品な振る舞いを目のあたりにした。買収した側の会社の幹部達者が新しいクインテッサホテルの朝食会場で、傍若無人の振る舞いであった。静かであるべきレストランで、大きな声で話していた。彼らは、携帯電話禁止の朝食会場で、携帯電話をしまくっていた。興ざめであった。それで新しい会社のレベルが露見した。

 

レストランの懐石料理

 私は以前、自宅にお客さんが来ると、昼食や夜の会席で、このホテルのレストランを利用していた。当日に2名でも可であった。

 しかしも、ホテルが変わり、4名以上で、2日前に予約をしないと懐石料理が食べられなくなった。今までだと、当日に、2名でも懐石料理を頼めたが、それが駄目になった。

 この9月末に、客人が大垣に来るので、別のホテルのレストランで会食の予約をした。とてもこのホテルのレストランでは、物理的にも心情的にも頼めない状態になった。食い物の恨みは怖ろしいぞ。

 

エピソード1

 私は、ドレスデントリオの新春コンサートで、メンバーをこのホテルに泊める段取りをした。ホテルが気を利かせて、リーダのアンドリウスをスィートの部屋にしてくれた。それは良かったのだが、そのバスルームのお湯が出ないという失態をホテルはした。その後始末の対応がお粗末であった。

 私は、それをアンドリウスから聞いて、ホテルにクレームを付けたが、その後始末が接客業としてお粗末すぎて、なっていなかった。クインテッサホテルのせいで、私たちの客人のドレスデントリオに恥をかかしたのだ。河村義子先生の最期の客人であるドレスデントリオに無礼を働いたのだ。

 私は二度とこのホテルでは演奏会も宿泊も使うまいと決めた。

 

エピソード2

 数か月前、自宅の鍵をどこかに落として家に入れなくなったことがあった。当日は休日で鍵屋にも連絡が取れず、仕方なくその夜はホテルに泊まることにした。それでクインテッサホテルに連絡をしたら、満室との理由で断られた。通常、満室でも絶対に予備の部屋をもっているのがホテル業である。私は、このホテルの大のお得意さんであるのに、その扱いに怒りがでた。それで別のホテルに行った。二度とクインテッサホテル大垣には泊まるまいと心に決めた。

 

経営改善

 レストランの従業員が、料理の質の低下を一番よく知っている。従業員は、なじみの客から苦情を言われて、ぜひ、ネットで暴露して欲しいと訴えられたという。従業員が会社に改善を言っても聞いてもらえないという。従業員の声を聴かない経営者の会社は、市場から淘汰される。

 私も今までは週に6日もこのレストランに通っていたが、現在は週に1日か2日しか行かない。それがゼロになる日も近いかもしれない。

 

大垣が没落すると大垣の顔も退化

 安ければよいという経営の会社が増えれば、大垣はますます没落である。安ければよいとは、それだけ質が悪いのだ。安いものにはワケがある。貧乏神が貧乏神を呼び寄せる。悪魔のサイクルである。それでは、大垣は発展できない。デフレ経済では、付加価値を上げないと、ジリ貧である。それは大垣駅前商店街の衰退ぶりを見れば明白である。大垣が寂れたので、金持ちではない東南アジアの団体客が多く来るようになったのだ。その客達は、大垣に金を落とさない。夜は近くのホカ弁店に大勢で押しかけ、大声を張り上げて、静かな住宅地を騒がしている。

 

大垣の恥

 大垣駅前商店街は大垣の顔なのだ。以前は、格式あるホテルがあったが、それがなくなり、そこに安売りのホテルが出来るのは、大垣の恥である。安かろう、悪かろうである。他市はともかく外国からの客を招いても、そのレベルで大垣人が恥をかくことになる。まるで自宅が貧乏な作りの玄関に変貌して、客に対して恥となったと同じである。衰退した大垣駅前商店街は、大垣の没落の象徴なのだ。

 小川敏市長は、それが18年間も認識できず、平然としている。大垣の地価は半値以下に暴落し、大垣の防災は最低になり、子供の教育も県下最低レベルになった。大垣市民の命、財産、子供を守れない市長は、最低である。大垣を没落させた主犯の原因は除かねばならぬ。

 

2019-09-14   久志能幾研究所通信No.1337 小田泰仙

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