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2019年9月25日 (水)

未来計画13 米百俵で教育体制を再構築

 大垣教育長の任命は、大垣市長ではなく、独立した別組織が任命するようにする。目的は、市長が変わっても、大垣市の教育がブレないようにするためである。教育は「不易の原則」に則って、行うようにすべきだ。

 将来を担う子供たちへの教育投資は、他市に負けないようにしたい。今はそれが堕落している。

 

現在の問題点

 現在は、小川敏市長が骨ある教育長を首にして、市長の腰巾着のような教育長を任命した。その教育長が大垣市の教育を取り仕切っている。だから金儲けのための一商店街のイベントである「元気ハツラツ市」に、大垣市内の幼稚園や小学校の園児、児童が休日に駆り出されて、新大橋の路上の舞台で躍らせられる事態が9年近く続いている。36℃の炎天下でも踊らされて、児童虐待の様である。これは教育の醜態である。大垣の教育の堕落である。教育長も大垣教育委員会は何も言わない。教育者の資格がない。これでは大垣の未来を背負う若人は育てられない。

 山本譲教育長は児童の命より小川大垣市長への媚びを優先している。

 子供の命など知ったことではない大垣教育委員会である。

 子供の命より金儲け優先の小倉大垣市商店街連合組合理事長である。

 

大垣市は児童虐待日本一

 それも大垣市ぐるみで虐待である。小川敏大垣市長、山本譲教育長、教育委員会、幼稚園園長、小学校校長、観光課、商店街組合、議会、全員が子供の教育、命を軽視している。意見を言うべき地方紙も黙認である。地方紙は小川敏市長の自己PRに忙しい。これでは将来の読者の子供たちも、大人になっても、地方紙を読むまい。

 

大嘘の「大垣は子育て日本一を目指す」

 親が子供為に汗水たらして財産を残しても、大垣市の不動産財産が毎年減り続けので、大垣市で子育てをしても無駄である。大垣市の平均地価は、小川敏市長が就任以来、18年間連続で下落である。無為無策の無能政治の結果として、結果として51%の暴落となった。

 さらに酷いことに大垣市政は、子供への教育費の財源を減らし、自分たちのためにお手盛りして、県下一の給与の高さにしてしまった。未来の子供の為よりも、己の給与のために向けたのだ。明治時代の長岡藩の「米百俵」と大違いである。

 結果として、現在の大垣市は、県下最低レベルの教育費(児童一人当たり)で、小中学校のエアコン設備率も、県下最低レベルで2.1%である。他の岐阜県の主要都市は100%である。

 

米百俵の因縁

 それは戊辰戦争で困窮の目に逢った長岡藩の「米百俵」の逸話と相反する事象である。戊辰戦争によって、長岡藩は壊滅的な状況となった。当時、文武総督でもあった小林虎三郎は、「学校創設による人材育成こそが敗戦国の復興にとって肝要である」との考えで、長岡の昌福寺の本堂を借りて、国漢学校の前身を発足させた。その学校を、藩士の子弟だけの学校ではなく、農民や町民の子弟も入学できるように、門戸を広く開かせた。

 しかしそれには、大きな資金が必要であった。長岡藩の窮状を察した支藩の三根山藩から、米百俵が贈られた。

 生活に困窮していた藩士たちは、その米の分配を希望したが、虎三郎は藩士たちに向けて、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」と主張した。藩士たちは、虎三郎の気概に負けた。

 それで米百俵を元手に書籍や器具を購入し、明治3年(1870年)に国漢学校が長岡の坂之上町に開校した。洋学局や医学局も設置された。国漢学校は、虎三郎の「富強の本、ただ人民の知識を開く外なし」という思想により、農民や町民の子弟も入学を許可された。

 入学志願者は、町ならば町代の印、村ならば庄屋の印があり、四書五経の素読できれば、簡単に入学が許可されたので、最初から比較的多くの志願者が集まった。

 校舎は教室数が6つもあり、教師や教育内容も充実していた。国漢学校は、後に新政府の学制に組み入れられ、阪之上小学校、長岡中学、洋学校、医学校などに分岐していき、山本五十六ら多くの優れた人材を輩出していった。

 

大垣藩との因縁

 江戸時代に、子弟の教育に力を入れた戸田公の陰徳で、明治維新にその成果が花開いた。明治時代に博士の制度が作られたとき、大垣市は、人口当たりで全国平均の40倍の高さの博士出現率を誇り、「博士の大垣」という名声まで獲得した。その博士達が、新しい日本の建設に貢献した。その当時の大垣藩は、戊辰戦争で、最前線で政府軍として戊辰戦争を戦わされた因縁がある。

 その大垣市が、小川敏市政18年間で、教育関係は没落である。歴史の皮肉である。だれがこんな情けない大垣市にしたのだ。小川敏市長である。

 米百俵のエピソードは、山本有三の戯曲「米百俵」で有名になった。小泉首相(当時)も平成13年(2001年)の所信演説で「米百俵」を引用した。

 

至急の対策

 現在のように大垣市を没落させた小川敏市長を早く交代させ、大垣市の再興が必用だ。そのリーダーは教育に情熱がなければならない。自分が東大を出て、頭がいいと自惚れている人間は、教育など重要視しない。

 

2019-09-25   久志能幾研究所通信No.1348  小田泰仙

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