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2019年8月22日 (木)

AI時代に使う武器「5つの汗」

 人がかく汗には「体の汗」、「知識の汗」、「智慧の汗」、「心の汗」、「魂の汗」の5つがある。体の汗の仕事は、機械に取って変わられる。知識の汗の仕事は、コンピュータに置き換えられる。智慧と心と魂の汗をかく仕事が、人間の仕事である。心の汗の無い仕事は、付加価値のない仕事である。魂の汗のない仕事は、AIの機械に置き換えられる。それらの仕事に携わっていると失業する。

 

体の汗

 動いて「体の汗」をかいて仕事をするのは当たり前。なにせお客様からお金を頂いているのだから。汗をかかなければ月給泥棒である。人として汗をかいて体を動かさなければ、病気になる。なるべく楽をして、人を騙してでも金儲けしようとするから、世の中が荒んでくる。それが欧米のグローバル経済主義の本質である。

 

知識の汗

 先人が成し遂げた知識を学ぶことに汗をかきたい。そうすれば、先人の失敗の轍を踏まないですむ。先人の苦労の上に積み重ねて、より大きな成果が出せる。

 

智慧の汗

 それでもう少し「智慧の汗」をかいて仕事をすると、体力のいる作業が減り、仕事が効率的になり、より高品位な商品をお客さまに提供できる。智慧の汗をかかなければ、それは仕事ではなく、低賃金、低付加価値のルーチン作業である。それでは新しい付加価値は作れない。

 

心の汗

 その仕事に「心の汗」を付加すると、お客さまに感動を伝える仕事(商品)ができる。その汗とは、その仕事に対する思いと誠意から滲み出るものだ。どんな仕事でも、作る商品は後工程に対するサービスである。お客さまが感動しない商品を売っていては、競争の激しい時代、いつかは淘汰される。それは企業でも、役所でも、組織(含む家庭)でも、個人にもあてはまる冷酷な事実である。そうなると不幸になるのは会社、組織、個人、最後は家族が不幸になるのです。その責任は汗をかかなかった当人にある。心の汗をかくのにお金は不要である。

 

魂の汗

 その仕事は世のためになるのか。ご先祖が喜ぶのか。魂に問いかけたい。良いことなら、断じて行えば鬼神も退く。己は鬼が睨みつける刃のような視線に堪えられるか、自問したい、それだけ気迫で魂の汗をかけば、何事も成就できる。それがたとえ冷や汗でも、世のためになれば、良しとしたい。いくら成果が出ても、世のためにならないことでは、やったことにならない。

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 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」、馬場恵峰書「不動心」

 

汗をかかない弊害

 今、マスコミを賑わしているリストラ、倒産事件や不詳事は、すべてこの5つの汗をかかなかったためである。汗をかかなかった人は、社会や人に責任転嫁する。そして、自分はかわいそうな存在ですと同情をもらうのだ。なにせ人に責任転嫁するのは楽なのだ。しかし、それは被害者の人生である。原因を自分に求めないと事態は解決しない。

 

小川敏市長は「無汗の王」

 大垣市が衰退した原因は、小川敏市長がこの5つの汗をかかなかったため。彼がやった施策は、無為無策で汗の匂いがない。やることが自己顕示欲の塊のようなことばかり。だから後工程の大垣市民は喜ばない。小川敏市長の政策は、市民税を無駄遣いし、市民の財産を目減させ、業者だけを喜ばせた。大垣市民は、小川敏市長の強行した行事には呆れはしても、感動はしない。だから大垣市は地価が半分以下になった。

 小川敏市長の18年間にわたる無為無策で商店街が衰退した。市長就任時の2001年には、大垣市内で小売商店従業員(22,000人)が働いていたのに、2018年にはその約40%(約8,800人・回帰分析の推定値)が職を追われ、消えた。いわば大垣市のイビデン工業(単独3,525人)、太平洋工業(単独1,820人,グループ4,390人)が倒産して、その従業員が路頭に迷ったと同じなのだ。

 大垣経済は、そんな非常事態なのに、小川敏市長は、市政100周年記念行事の宴に酔い痴れ市民税3億4千万円の金をばらまいた。毒入り水饅頭の盃で乾杯(完敗?)である。市民税を浪費しても会計報告をしなくてマル秘にできるので、やりたい放題である。大垣市議会の一般質問でも、議員はヨイショの質疑ばかりである。地方紙も追求せず、黙認である。大垣市が寂れて当然である。

 

2019-08-22   久志能幾研究所通信No.1306  小田泰仙

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