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2019年8月20日 (火)

釈尊とジュリアス・シーザの教え

 以下は1998年当時、部下を持ち、悩み多き中間管理職として、部下の皆さんに「室長通信」として発信したコメントである。今、読み直し、病身の今の身に対して、過去の自分からの励ましとして読み直している。(2019-08-20)

 

 いま立っている階段でうまくいかないからといって、他の階段に移ろうとしても、「今」の階段で責務に全力投入できなければ、どこに逃れても能力は発揮できない。それは意識の問題である。また、そんな考えは他部署への大いなる侮辱となる。逃げたことの過去は、後日の負い目になる。そんな気持ちでは、どこへ行ってもうまくいかない。それは逃げの心、責任放棄である。

 空腹が飢餓の足しにならないように、嘆き・逃げの心は、階段に踏みとどまる力にならない。

              小田 (1998.11.01)

 

 「アングリーマよ、あなたは耐えなければならないのだよ。長く他生にわたって受けるべき業の報いを、今あなたは受けているのだからね。逃げることなく、じっとそれに耐え忍ぶべきなのだよ」---釈尊

        増原良彦著『釈迦の読み方』  1983.04.09

 

 けれども、ほんとは不当な仕打ちなんてないのである。私たちの眼には、入り組み、絡まったその関係の糸は見えないのだが、原因と結果は必ず結ばれているのである。

 私たちは、それを信じなければならない。私に今課せられている運命・苦しみが他の誰でもない。わたし自身のつくった業の結果だと信じて、それを自分の肩に背負わねばならない。他人に責任を転嫁したり、責任を回避してはならない。自分の運命・苦しみであるのだから。それをじっと耐え忍ぶべきだ。

           増原良彦著『釈迦の読み方』  1983.04.09

 

 「アーナンダよ、争いごとが起きたなら、それが鎮まるまでその場所で耐えねばならぬ。それが鎮まってから、別の場所に移るべきだ。戦場にいる像が四方から飛んでくる矢に耐えるように、人々からののしりに耐えるのがわたしたちの務めである。」---釈尊

         増原良彦著『釈迦の読み方』  1983.04.09

 

 正義は狭量なのだ。正義の主張者は、相手に対する思いやりを持てない。

 正義を主張する者は狭量である。自分に対する正義で、そのために傷つき、涙を流す人がいても、正義に盲目になった人間は強引に正義を押し通す。正義にはそんなところがある。だから正義にこだわるのが一番危険である。正義にこだわると私たちは阿修羅とならざるをえないのだ・・・。

         増原良彦著『釈迦の読み方』  1983.04.09

 

◆おかげさま◆

 病気になったのも「おかげさま」、災難に遭うのも「おかげさま」、不況で苦労するのも「おかげさま」、というように、自分にとって招かざる事態になっても、すべてそれが何かを私たちに働きかけてくれているのですから、逆境もまた「おかげさま」と受け止めて行くべきなのです。

「『完全なる知慧の神髄』般若心経のこころ」PRESIDENT 1996年10月号 P166

 

◆ブッディストの3条件◆

 1.人と比べない

 2.神仏に頼み事をしない

 3.世間様に迷惑をかけない

    斑目力曠談 『日経ビジスネ 1997.09.08』「有訓無訓」

 

◆運命◆

 親愛なるブルータスよ。その過ちは我々が悪い星の下に生まれたからではない。過ちは我々自身の内にあるのだ。

     ----シェークスピア『ジュリアス・シーザ』

 

2019-08-20   久志能幾研究所通信No.1302  小田泰仙

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