文殊菩薩像、普賢菩薩像 納佛
2年ほど前に、松本明慶先生に製作をお願いしていた文殊菩薩像、普賢菩薩像が、私の退院後の3月18日、自宅に納佛された。材料(楠)の乾燥に時間がかかったそうで、1年遅れの納佛である。私の手術があり、病気回復を願って、少し慌てて製作が急がれたそうだ。
今、二尊が自宅の応接間に鎮座している。その横に座って考えていると、心が安らぎ、余命2年と宣告されたことを忘れさせてくれる。応接間で本を読み、エッセイを書いているが、その横で文殊菩薩様、普賢菩薩様が静かに私を見つめていてくれる。心の安らぎを得ている。
目に見えないものへ畏敬
佛像とは何かを考える前に、佛に帰依している自分に安らぎを覚える。これは理屈ではない。佛像は目に見える存在であるが、目に見えないものへの存在を信じて、手を合わせる行為も心に安らぎを与える。我々は目に見ないものによって生かされていると信じたい。そう思うだけ幸せである。
目に見えるモノだけを追うのは、拝金主義、成果主義、グローバル経済主義狂である。その弊害で、世の中が殺伐としてきた。日本人なら、心の豊かさを追う人生を目指したいと思う。
そう思えない人が、自宅に引き籠り、最後に人を巻き添えにして凄惨な事件を引き起こす。それこそ、両親が仏壇や神社で手を合わせることを後姿で教えてこなかった因果であると思う。今の世相は、今の親が作り出した現実である。果があれば、必ず因がある。それが因果応報である。
智慧
情報とは知ることのできる断片知識である。智慧は、実際に試してみてそれから生まれる人間の営みである。それは知識と行動で体験的に得られる。いくら知識があっても、智慧がないと、目先の利害に目がくらんで、グローバル経済主義狂に陥る。
馬場恵峰書 2018年
文殊菩薩、梵名マンジュシュリー
文殊菩薩は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊である。一般に智慧を司る仏とされる。
『文殊師利般涅槃経』によると、舎衛国の多羅聚落の梵徳というバラモンの家に生まれたとされる。また一説に釈迦十大弟子とも親しく仏典結集にも関わったとされる。『維摩経』には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、智慧の菩薩としての性格を際立たせている。この教説に基づき、維摩居士と相対した場面を表した造形も行われている。
文殊菩薩が登場するのは初期の大乗経典、特に般若経典である。ここでは釈迦仏に代って般若の「空」を説いている。『華厳経』では善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役で描かれることなどからもわかるように、文殊菩薩の徳性は悟りへ到る重要な要素、般若=智慧である。尚、本来悟りへ到るための智慧という側面の延長線上として、一般的な知恵(頭の良さや知識が優れること)の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」ということわざを生むことになった。(この項、wikipedia より引用、編集)
普賢菩薩、梵名: サマンタバドラ:
大乗仏教における崇拝の対象である菩薩の一尊である。文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍として祀られることが多い。法要では四七日の仏とされる。
梵名のサマンタバドラとは「普く賢い者」の意味であり、彼が世界にあまねく現れ仏の慈悲と理知を顕して、命あるものを救う慈悲を司る菩薩として、人々を救う賢者である事を意味する。
また、女人成仏を説く法華経に登場するので、特に女性の信仰を集めた。密教では菩提心(真理を究めて悟りを求める心)の象徴とされ、同じ性格を持つ金剛薩埵と同一視される。そのため普賢菩薩はしばしば金剛薩埵の別名でもある金剛手菩薩とも呼ばれる。「遍吉」という異名があり、滅罪の利益がある。
文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多い。独尊で祀られる場合もある。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされている。
女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされている。また、辰・巳年の守り本尊である。
2019-07-07 久志能幾研究所通信No.1248 小田泰仙
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