「真の師」と「水先案内人」の違い
人生では、単なる「水先案内人」を「真の師」と勘違いすることがある。「水先案内人」が如何にも、聖人君子のような立派なことを唱えるので、騙されるものだ。
私も大阪のN教育会社のT代表を師と仰ぎ、6年間程、接した。しかしT代表は、私が困って相談に行った時、「今は忙しい」と逃げてしまった。私が会社内の紛争に巻き込まれ、退職まで考え、死ぬほど困って、自殺まで考えているとき、相談に行っても助けてくれない人は、真の師ではないと悟った。
渡部昇一師は、「国が戦争状態の時、助けてくれない国は、敵国である」とまで言っている。それと同じ論法で、まさに人生の戦争状態の時、助けてくれない師は真の師ではない。
水先案内人
そのT代表は、研修では素晴らしいことを言っていたのは、水先案内人が、人生路の観光案内として、多くの名経営者や哲学者のお話を紹介していたにすぎないと悟った。それ以来、そのT代表とは縁を避けるようにした。分かったのは、今までの研修は、金儲けのための研修教育であった。
彼は研修講師として、人生の成功例、失敗例を名調子で演じた。私はそれに酔っただけであった。それで彼を人生の師と勘違いをさせられた。研修では、人間心理学に基づいて、巧妙なパーフォーマンスが演じられる。それはベトナム戦争で、精神を病んだ米軍軍人を癒すため開発された手法が応用された。その研修は、病んだ精神を高揚させる手段としては、正しいのだが、勝手に拡大解釈して勘違いした私が愚かであった。酔いが覚めると真実が見えてくる。
ゴーンの名演技
当時、日産のゴーンがリストラで日産を立て直した時、彼は名経営者として持てはやされたが、それを批判した経営者は、ほとんど見かけなかった。いてもマスコミは取り上げない。日本全体が、ゴーンの手口に騙されて酔っていただけである。
彼は、単に従業員の首を切り、経営層を一掃して、資産を切り売りする手法で、日産を建て直しただけだ。これをすれば、ド素人でも再建は可能である。それが日本風土の関係で、しがらみのない外人でなければ、できない状況であっただけである。それを名経営者として、持てはやしたマスコミの責任は重い。今までこんな簡単な手法なのに、再建をできなかったのは、日産の私利私欲に走った経営層がのさばったのが原因で、そういう風土を作った先人に罪がある。
ある人物が流行になった時、耳を洗い、目を拭って、真実を観なければ、洗脳教育をされてしまう。ゴーンが良き事例であった。
師の判別方法
真の師か、そうでないかは周りのスタッフの状況からでも判別できる。その講師が社長であるN教育会社のスタッフがよく辞めるのは、怪しい現象である。またそのT代表が中小企業の社長達に経営学を教えているが、スタッフがそのN教育会社の「決算報告書をT社長から見せてもらったことがない」と不平を言うのも異常である。まさにブラック企業である。
事例
そのN教育会社で、あるNスタッフが、B講師の世話係を5年間程勤めて、突然辞めて自営業(飲み屋)を始めた。そのスタッフはさんざんその講師にお世話になったのに、独立の挨拶状一本寄こさないと、B講師は呆れていた。Nスタッフは、ある意味、出世コースの仕事を与えられていた。それなのに、辞めてしまった。どういう社員教育をそのT社長はしているのかと。スタッフは社長の後姿を見て育つのだ。
本来、そのNスタッフは、顧客の私にも、離職の挨拶があってしかるべきであった。私に何度も研修のお誘いの電話をしてきた営業マンである。彼に支払った費用も総額で300万円を超える。このN研修会社の社員は辞める人が多く、顔ぶれが頻繁に変わる。やはり問題がある会社なのだろう。
またそのT代表が、B講師に別の仕事を頼むのだが、それを特別に安く頼んでいる(B講師をディスカウントしている)。それでいてお礼は電話だけで、礼状一つよこさず、挨拶にも来ないと、B講師は呆れていた。私が本を出版してその案内をしても、T代表からもその部下からも無視された。
真の師は、弟子のことを無視はしないもの。厳しい批判があってこそ、本当の師である。愛の反対は、憎悪ではなく、無視である。
馬場恵峰書 2015年
馬場恵峰書 2012年
2019-06-20 久志能幾研究所通信 小田泰仙
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